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信仰の伝統
教会創立以前から文鮮明先生に侍って(117)

 家庭連合の信仰の長兄である金元弼(キム・ウォンピル)先生(1928~2010)の講話をまとめた書籍、「信仰の伝統」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 本書を通じて神様の深い愛と文鮮明先生の心情の世界、信仰の在り方を学ぶことができます。

金元弼・著

(光言社・刊『信仰の伝統 教会創立以前から文鮮明先生に侍って』より)

第二部[講話集]生命と愛と理想を懸けて
八、悔い改めた時は出発した時と同じ

▲金元弼先生

信仰歴と心霊基準

 信仰の道に入って10年たったとします。ところがいつも同じ繰り返しで、結局、信仰とは何だろうということになります。10年たっても分からない。こういうことがあるのです。信仰の道に入って、目的を立て、目的に向かって10年の年月が過ぎたとします。肉体の人間は10年たったのですが、内的な人はどの位置にあるかというと、落ちて、悔い改めて、決意して出発したのですから、結局A点でしかないのです。

 皆さん、統一教会に入って、7年あるいは10年たった人がいると思います。そういう人が、この道は真の道であると思って出発しました。そして7年あるいは10年たちました。ところが途中で失敗して落ちてしまいました。そして悔い改めて、復興会に出たり、み言を聞いたりして、とても心が復興し、再び決意して出発します。そして年月は7年、あるいは10年と経過しています。

 けれども、自分を振り返ってみると、勝利したような実感が出てこないのです。本当に真の道なら、なぜこうなるのだろうかと考えるのです。5年たっても、7年たっても、いつも繰り返しなので、むなしさを感じるのです。真の道であるならば、5年たったらそれなりに発展していかなければならないのに、自分の内面の世界を見てみると、全然成長したような感じがしてこないのです。かえって、この道が本当の真の道であるかどうか、分からなくなったということが起こるのです。

 なぜですか。私たちは普通、決意したり約束したりすると、私自身が人の前に、先生の前に、神様の前に心を決める、そういうふうに考える人が多いのです。しかし、一歩進んで考えると、サタンも必ず身構えているのです。背後にサタンがいることに、全然気を使わないのです。私たちは、このことを忘れてはいけません。

 このように神の前に、先生の前に、人々の前に決意し、約束したのに守れなかったときには、約束する前の位置C点に落ちるのです。そして、自分の間違いに気が付いて悔い改めた時に、A点まで戻るのです。B点まで上がってくるのではなく、そこまで上がれる象徴的条件しか成り立たないのです。B点に立ち返るためには、失敗を取り戻せる、勝利の実績が必要なのです。

 サタンは、皆さんが決意してそれを成し得なかったときには、それをそのままにしているでしょうか。それとも、それを讒訴(ざんそ)する条件とするでしょうか。言うまでもありません。サタンの目的は、私たちが神に向かわないように、神から引き離すことであることを知らなければなりません。私が神と人の前に決意して、それを成し得なかったときには、それをサタンは讒訴条件として提示するのです。

 「悔い改めて勝利した。ですから今は、私は勝利したでしょう」と言っても、サタンは、「さっきあなたは失敗したではありませんか。ですから今勝利したって、無の立場、勝負をつける前の立場ですよ」とこう言ってくるのです。もう一度失敗した事柄が再現されて、勝利した実績をもたない限り、サタンは讒訴してくるのです。

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 次回は、「恵みと試練」をお届けします。


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