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シリーズ・「宗教」を読み解く 276
キリスト教と日本 55
家族で被災地に飛び込んだ賀川豊彦

ナビゲーター:石丸 志信

 賀川豊彦が農民運動に力を注いでいた大正期、192391日の正午前に関東大震災が起こった。
 神戸でこの知らせを聞いた賀川は、地元のキリスト教指導者らの後押しもあり、直ちに被災地東京に向かって出発した。妻のハルも1歳に満たない長男をおぶって神戸の町々を1軒ずつ寄付を求めて回っている。

 山城丸という船に乗り、その日のうちに神戸を出航し、翌2日に被災地東京に到着した。彼はそこで目を覆う惨状を目にする。
 大震災が起きた時は昼食の準備に火を使っていた家が多く、おりしも強風の季節、大火災が起こり都内30数万の住宅が全半焼、倒壊した。死者は10万余人に及んだ。

▲京橋の第一相互ビルヂング屋上より見た日本橋および神田方面の惨状(ウィキペディアより)

 大火が収まらず、廃墟と化していく都心に立った賀川は、最も被害の大きかった下町の地域に飛び込み救援活動を開始した。
 同時に、首都圏の被害状況を調べた上でいったん神戸に戻った。救援活動を継続するために講演をして回り、私財も売って資金を集めた。
 若き日に神戸・葺合新川(ふきあいしんかわ)のスラム街に飛び込んだ時以上の情熱と実力を持って、再び家族を連れ東京の被災地に飛び込んでいった。

 ここでは米国で学んだことが大いに役立った。宗教者、知人友人を頼りに多くの協力者を募り、避難所を設置して、保育園、幼稚園、診療所など救援事業施設を造り、彼の救援活動は組織的な社会福祉事業へと発展していった。賀川はこの間も執筆活動や講演活動を精力的に続けている。

 ところが1920年代の後半になって、社会的政治的な活動だけでは真の救済と社会の変革をもたらすことはできないと賀川は考え、キリストの愛の精神を人々の心に吹き込むために力を尽くす決心をする。

 1926年の年頭から連日説教を行う大伝道活動を開始。目指すは100万人をキリストに導こうというものだった。
 1928年には日本基督教連盟に彼の提案が取り上げられ、6月から全国協同伝道を開始した。彼はこれを「神の国運動」と呼び、1年間に全国で635の伝道集会を開き、27万人に呼びかけ、13千人が回心した。

 続いて海外伝道に向かい、中国、米国、カナダ、フィリピン、オーストラリア、ニュージーランドと精力的に巡回旅行を行っている。



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