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シリーズ・「宗教」を読み解く 277
キリスト教と日本 56
世界に名をはせたキリスト教指導者、賀川豊彦

ナビゲーター:石丸 志信

 大正から昭和にかけて世界に名をはせたキリスト教指導者、賀川豊彦は、1960年まで休む間もなく精力的に活動した。
 1931年、関東大震災の際に救援活動の拠点とした世田谷松沢に教会を建てた。
 日本基督教会松沢教会は、賀川豊彦が終生神の言葉を発する本拠地となった。

▲賀川豊彦の墓地

 1930年代の後半、賀川はインド・アドラスで開催されたプロテスタント各教派の集まる国際キリスト教会議に日本代表の一人として参加した。
 多様な文化を背景とした国々から集ったキリスト教指導者らと熱心な議論を重ねた。またこの時、彼はマハトマ・ガンジーとも対話の機会を持っている。
 1930年終わりには、政府の後押しもあったが、満州の諸都市をくまなく視察し、二つの基督教開拓村を設立した。

 しかし1940825日、日曜日の礼拝を終えた時、東京憲兵隊に逮捕連行され、18日間拘留された。愛国者にして平和主義者の賀川にとって困難な時代を迎えていた。
 無罪釈放にはなったものの、左翼と関係のある反戦運動家の嫌疑がかけられていた。人類の罪を背負い十字架に架けられたイエスの苦悩を見詰め続ける賀川にとって、苦難の時期、より一層、神の独り子の苦悶(くもん)の声に耳を傾けた時であったかもしれない。

 太平洋戦争勃発前夜、1941年4月には、日本基督教聯盟が企画した訪米平和使節団に加わり、日米のキリスト者の間で、両国間の戦争の回避の道を模索し祈った。
 全米を講演して回る賀川は、米国人にもキリストの精神、兄弟愛の実践を呼びかけている。彼らの努力もむなしく日米は開戦し、戦火は日本の国土を焼き尽くした。

 終戦を迎え、荒廃した国民の魂をよみがえらせるべく、再び表舞台に呼びだされることになった賀川豊彦。内閣参与、厚生省顧問に就任、社会党結党にも関わった。

 終戦から4日目の説教で「世界連邦の創造」と題して「世界国家」構想を発表。世界の国々が兄弟国家として同等の権利を得て平和世界を構築していく未来を描いてみせた。
 同時にかつての「神の国運動」時のような熱心で新日本建設キリスト運動を推進し、全国の復興会で講演して回っている。

 かつて世界の指導者から国内の一般大衆まで知られた賀川豊彦は1960423日、「教会を強くしてください。日本を救ってください。世界平和を来たらせてください。主キリストによって、アーメン」(雨宮栄一著『暗い谷間の賀川豊彦』新教出版社 2006年)の祈りを残してこの世を去った。満71歳であった。



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