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信仰の伝統
教会創立以前から文鮮明先生に侍って(107)

 家庭連合の信仰の長兄である金元弼(キム・ウォンピル)先生(1928~2010)の講話をまとめた書籍、「信仰の伝統」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 本書を通じて神様の深い愛と文鮮明先生の心情の世界、信仰の在り方を学ぶことができます。

金元弼・著

(光言社・刊『信仰の伝統 教会創立以前から文鮮明先生に侍って』より)

第二部[講話集]生命と愛と理想を懸けて
六、完全な救い

▲金元弼先生

最高の基準にまで導くメシヤ

 メシヤは私たちを、どのように導いていくのでしょうか。それは、神のために、私たちを最高の基準にまで進めていかれるのです。私たちもそういうように導いていくならば、メシヤです。

 メシヤは、これを通じて何を成そうとされるのですか。神の目的のためです。メシヤが国家のために活動する時、私たちがメシヤと一つになって動けば、私自身も国家のために活動したことになります。メシヤは私たちを、個人的、家庭的な次元にとどめたくないのです。結局は、天宙的なもの、神と一致した者として完成させたいのです。完成させるためには、その方向に私たちを動かしていかなければならないのです。

 そこで問題になることは、私たちがメシヤと一つになって国家のためにやっているから、国家的完成を成した者かということです。私個人としては、兄弟のために心の奥底から本当に喜ぶことができないというような、個人的な完成もしていない者です。それにもかかわらず、「国家的完成を成した者だ」と言えるのだろうか、という問題です。

 それはいつも、私という個人に帰るのです。私たちの生活は、良い心が入れば良い行いをするし、悪い心が入れば悪い行いをします。肉体は、心のままに働くのです。人間が見る完成というものと、神が見る完成というものとは、その基準が違っているということをはっきり知っておかなければなりません。

 私たちの位置はどういう世界に立っているかといえば、完成した善なる世界と、悪の世界の、二つの中間の立場に立っているのです。昔は、善なる世界も、悪なる世界も分からない混沌とした世界でした。しかし、知ってみると、それは明らかに善と悪の二つの世界に分かれているのです。

 私たちは、善と悪の二つの影響を受けながら生活しているのですから、これを分別していかなくてはならない立場に立っています。神の世界を中心として、堕落した世界を神の世界に一致させていかなければならない、メシヤのような立場に立っているのが私たちです。

 個人的には、心と体が一致せず、体に傾いた生活をするので、個人的に人格者ではない、気持ちが悪いという人がいます。ところが、国家ということになった時、その心は国家のために傾いていって、神の願う国家のためにと、体を捨てて、自分から率先して前に立って戦うのですから、個人的に良くない感情などがあったとしても、国家のために先頭で戦っているその人の姿を見る時、個人的な感情はなくなってしまうのです。消え失せてしまうというのではなく、そのことによって薄められるということです。

 反対に、個人的には非常に良かったけれども、国家という問題に対しては、自分の個人的な安定を保つために、動かなかったとします。これを、神はどのように見られるのだろうかという問題です。個人的には誤りがあり、良くなかったけれども、国家のためになるという場合、すべて許されるのです。

 今、私たち個人個人としては、神から見ればとても救うことができないというのです。堕落性でいっぱいだというのです。ですから、国家のために、神のためにと尽くすことによって、個人個人は足りないけれども、そういうことを通じて、神は、私たちの堕落性を脱がせようとされるのです。

 許そうとされる愛もあるのです。神のゆえに、完成の基準が上のとき、それより下のことはすべて許されるのです。蕩減の期間が過ぎればどうにかなるというような甘えた考えは、間違いだと思います。

 イスラエル民族は、約束した400年の奴隷生活の期間では、出エジプトができませんでした。蕩減はごまかしがないのです。

 神がイスラエル民族に400年の期間を与えたというのは、その期間を過ぎればよいというのではなく、その期間は猶予として与えたのです。ですから、与えられたその期間中に神の愛を求めなさいという、神の内情があったのです。ところが400年過ぎても、神の愛を求めなかったから、出エジプトが成らずに、延長の路程があったのです。

 神は苦労されて、メシヤをして私たちを国家の勝利者にさせようとするのです。そういう目的があって、この仕事をしなさいと言われるのです。ただこの期間が過ぎ去ればなんとかなる、というような考え方をしてはいけません。

 メシヤは、この人を通じてある仕事をしたら、この条件も、あの条件をもと、大きな願いがあるのです。一つのことをすることによって、6000年の成し得なかった蕩減の条件を、この時代にすべて完成させようとするのです。6000年、成そうとして成せなかった蕩減の条件を、メシヤは深刻な一瞬一瞬によって、すべて成し遂げなければならないのです。

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 次回は、「神の願いと人の願いの一致化」をお届けします。


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