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日本人のこころ 74
後白河法皇『梁塵秘抄』

(APTF『真の家庭』295号[20235月]より)

ジャーナリスト 高嶋 久

遊びをせんとや~
 2012年のNHK大河ドラマ『平清盛』では、後白河法皇が口ずさんでいた今様「遊びをせんとや生まれけむ~」が印象的でした。今様とは現在の流行歌という意味で、平安時代中期に生まれ、鎌倉時代に流行しました。貴族から庶民まで広まり、少年時代から好んでいた後白河法皇は、今様を愛唱するあまりのどを痛めたほどで、後に巷の歌を拾い集め、編纂したのが『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』です。

 後白河法皇は鳥羽上皇の第四皇子として生まれ、雅仁(まさひと)親王から後白河天皇、後白河上皇 となり、清盛のように出家し後白河法皇になりました。「梁塵」は、名人の歌に梁(はり)の塵(ちり)も動いたという故事からとられています。

▲後白河法皇(ウィキペディアより)

 上記の歌は「遊びをせんとや生まれけむ、戯れせんとや生まれけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動(ゆる)がるれ」と童心を歌ったもので、「舞え舞え蝸牛(かたつむり)、舞はぬものならば、馬の子や牛の子に蹴させてん、踏み破せてん、真に美しく舞うたらば、華の園まで遊ばせん」もよく知られています。

 歌の多くは「仏は常にいませども、現(うつつ)ならぬぞあわれなる、人の音せぬ暁に、ほのかに夢に見え給ふ」のように仏教の教えを歌う法文歌(ほうもんか)で、背景に浄土信仰の広まりがあります。災害や戦乱が続き、現世に絶望した人たちは、来世に望みを託すようになったのです。比叡山では源信が『往生要集』を著し、山を下りた法然が、「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えるだけで阿弥陀如来に救われると浄土宗を始めました。

 仏教ではインド時代から、リズムを付けて経を唱える「声明(しょうみょう)」があり、中国で発展し日本に伝わります。それが「讃歎(さんたん)」で奈良時代に流行し、平安時代中期に成立したのが「和讃」です。和讃は民衆の間に流布し、仏教の布教だけでなく、日本の音楽にも大きな影響を与え、民謡や歌謡、とりわけ演歌などの歌唱法に影響を与えました。キリスト教の宗教音楽がクラシックの源流になった西洋と同じ歴史が興味深いですね。比叡山の西の麓にある大原三千院は、日本の声明のふるさとです。

 仏教の教えを言葉で理解するにはそれなりの教養が必要ですが、易しい歌になると、なんとなく理解できた気持ちになるのは現代と同じです。今様の歌い手は白拍子や遊女たちで、周りにいた人たちが作詞・作曲したのでしょう。作詞家の阿久悠さんが「歌は時代を映す鏡である」と言ったように、時代の気分を短い言葉で表現することで、人々は今を生きる自分について理解を深めたのです。

神のめでたく現ずるは~
 経典の内容を歌った今様もあります。

 「華厳経は春の花、七所八会の園ごとに、法界唯心色深く、三草二木法ぞ説く」

 「阿含経の鹿の声、鹿野苑(ろくやおん)にぞ聞こゆなる、諦縁乗(たいえんじょう)の萩の葉に、偏真無漏(へんしんむろ)の露ぞ置く」

 「大品般若(だいほんはんにゃ)は春の水、罪障氷の解けぬれば、万法空寂の波立ちて、真如の岸にぞ寄せかくる」(般若経)

 「空より華雨り地は動き、仏の光は世を照らし、弥勒文殊(みろくもんじゅ)は問ひ答へ、法華を説くとぞかねて知る」(法華経序品)などです。

 興味深いのは自然に合わせて教えを歌っていることで、比叡山の天台宗で成立した本覚(ほんがく)思想の影響がうかがえます。本覚とは本来の覚性(かくしょう)という意味で、悟り(覚)の知恵は一切の衆生に本来的に備わっているとする。つまり、人々は誰でも仏になれるということで、それを山川草木の自然界にまで広げたのが日本の大乗仏教です。ですから、「山川草木悉有(しつう)仏性」とか「山川草木悉皆(しっかい)成仏」とか言われます。

 これは、縄文時代からの神道的な自然観の上に仏教を受容したので、インドや中国とは異なる展開になります。日本人は古来から植物や鉱物にも命があると思っていました。大きな木や岩を神の依り代としてきたのが古くからの信仰で、神社に社殿が建てられるようになったのは、仏教寺院の影響です。神像を造るようになったのも仏像の影響で、宗教は常に変容しながら発展するものなのです。

 今様には神や神社を歌ったものもあります。

 「神の家の公達(きんだち)は、八幡の若宮、熊野の若王子、子守お前、日吉には山王十禅師、賀茂には片岡、貴船の大明神」

 「神のめでたく現ずるは、金剛蔵王、はちまん大菩薩、西宮、祇園天神大将軍、日吉山王、賀茂上下」

 「関より東の軍神、鹿島香取、諏訪の宮、また比良の明神、安房(あわ)の州、滝の口、小鷹明神、熱田に八剣、伊勢には多度の宮」

 各地の神社をめぐりながら名所見物をするような気分になったのでしょう。今のご当地ソングに似ていますね。そんな歴史文化が私たちの中に息づいているのです。

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