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信仰の伝統
教会創立以前から文鮮明先生に侍って(101)

 家庭連合の信仰の長兄である金元弼(キム・ウォンピル)先生(1928~2010)の講話をまとめた書籍、「信仰の伝統」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 本書を通じて神様の深い愛と文鮮明先生の心情の世界、信仰の在り方を学ぶことができます。

金元弼・著

(光言社・刊『信仰の伝統 教会創立以前から文鮮明先生に侍って』より)

第二部[講話集]生命と愛と理想を懸けて
五、愛の減少感

▲金元弼先生

疎外感に勝利する

 堕落した天使長の子女として生まれた人間が、人間復帰に至るまでは、まず天使長復帰の過程を通じて、その次に、人間復帰という過程を通じなければならないのです。私自身が復帰された天使長とならなければなりません。その次には、復帰された人間として帰るために、二つの使命を果たさなければならないのです。

 二千年前、洗礼ヨハネは天使長として現れ、メシヤはアダムとして現れた方です。ところが洗礼ヨハネが責任を果たせなかったので、メシヤ自身が天使長の復帰から始めなければならなかったのです。それから人間復帰の過程に入ったのです。

 天使長の一番の堕落性本性は、愛の疎外感です。私たちが神の道を勝利していく中にあって、一番私たちを妨げるものは、いつも疎外感です。

 神は、人間を愛するゆえに救わなければなりません。救うために、神は疎外感のわき起こるところに導こうとされるのです。再現して主人として立たせ、それを勝利させなければ救うことはできません。

 蕩減の道を残している堕落した人間をカナンに導くために、神は仕方なく、イスラエル民族を蕩減の地として選んだエジプトの地に導かなければならなかったのです。そのエジプトの地は、神の愛に対する疎外を感じる地だったのです。

 それを勝利させて、神は初めて幸せの復帰された天国を象徴するカナンに導こうとされました。神が人間を愛すれば愛するほど、疎外の感情を感じさせられるところに導くのです。それを勝利していけば、天使長が堕落した、その堕落性本性を勝利することができるのです。

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 次回は、「責任をもつ」をお届けします。


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