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真のお母様の人生 3

お父様、子女様、統一家食口のために歩んでこられたお母様の人生

(『TODAY'S WORLD JAPAN201312月号「証し お父様、子女様、統一家食口のために歩んでこられたお母様の人生〈前編〉」より)

 『TODAY'S WORLD JAPAN(トゥデイズ・ワールド ジャパン)』に掲載された、鄭元周(チョン・ウォンヂュ)総裁秘書室長の証しを毎週月曜日配信(予定)でお届けします。

 真のお父様と最終一体をなし、天宙の母として立たれた真のお母様とはいかなるおかたであるのか。真のお父様が霊界から「あなたは神様が摂理のために私に下さった最愛の妻であったばかりでなく、最も誠実で身近な弟子だった」と語られた、そんなお母様のお姿の一端に触れることのできる証しです。
 この証しは2003年、真のお母様の還暦を祝って韓国で刊行された「韓鶴子(ハン・ハㇰチャ)総裁還暦記念文集」の第2巻に掲載されたものを翻訳し、整理したものです。(編集部)

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【アラスカ】
一夜限りの宿を居心地良くするために徹底して清掃

 私がアラスカのコディアクに初めて行ったときは、まだ真の父母様の公館が用意されていませんでした。ISAInternational Seafood Alaska)の工場の建物と事務所の横に小さな社宅が一つあったのですが、父母様がお使いになるには非常に小さかったという記憶があります。

 1986年、ついにコディアク教会の建物と父母様の公館が新たに建ち、お父様が公館をノースガーデンと命名されました。6月から本格的にサケ釣りが始まるのですが、初めはキングサーモン、7月にはレッドサーモン、8月と9月にはシルバーサーモンの順で釣りが続きます。毎年、遠く海に出たサケたちが、産卵期になると自分の産まれ故郷に帰ってきて命を繁殖し、そこで死んでいくのです。キングサーモンを釣るためには、コディアクではない、他の場所に移動しなければなりませんでした。

 19885月頃、お父様は突然、キングサーモンを釣るためにキナイ川が流れるキナイという所に行かれました。キナイは、アンカレジからも相当(250キロほど)離れた所にあります。アメリカ人もそこに行くためには、1年前から宿泊場所や釣り船などを予約しておくのです。

 ところが私たちは突然行くことになったので、泊まる場所など、もちろんありません。お父様とお母様、金孝律(キㇺ・ヒョウユㇽ)補佐官、私、そして尹基炳(ユン・ギビョン)補佐官、さらに釣りをサポートする二人がいました。

 お父様は、到着するや否やすぐに川に行かれ、お母様と私と尹基炳補佐官は泊まる場所を探し回りました。ようやく1か所見つけたのですが、次の日には空けなければならないとのことでした。

 私たちは荷物を下ろし、宿の中に入って掃除や片づけをしました。アラスカやブラジルの奥地など、生活環境がどれほど劣悪でしょうか。その汚さに私は鳥肌が立つほどでしたが、お母様は顔色一つ変えず、染みついた汚れを剥(は)がし、磨いていかれるのです。一晩過ごすだけの宿であるにもかかわらず、お母様は徹底してきれいになさいました。

 そこには米もコチュジャンも持って行かなかったので、夕食の準備のために、お母様は私たちを伴ってスーパーマーケットに行かれ、あれこれと考えながら買い物をなさいました。こうして買いそろえた食材、玉ねぎ、ジャガイモ、牛肉、メキシコ唐辛子、ケチャップなどで、キムチチゲに似た野菜スープを作ったのです。これが、雨風を浴びて帰ってこられたお父様ご一行にとって人気のおいしいメニューになるとは!

 その日、お父様は日本の幹部数人と韓国の幹部数人をさらにお呼びになりました。

 次の日の早朝、お父様ご一行は日の出前に、暗闇をかき分けてサケの待つキナイ川に向かわれました。お母様と私は洗濯を全て終わらせ(お父様のお召し物の洗濯はお母様が全てなさる)、また宿を移動するために荷物をまとめなければなりませんでした。「私がいたしますので、少しお休みください」と申し上げたのですが、お母様は父母様の荷物をまとめた後、キッチンの荷物をまとめるのまで手伝ってくださったのです。

 4日ほどは毎日、宿を移動しなければならなかったのですが、その後は幸いにも、1週間ほど泊まり続けられる場所を、尹基炳補佐官が見つけてくれました。その新しい宿もきれいに掃除をした後、お母様に侍ってスーパーマーケットに買い物に行きました。

 その後、昼食を包んでお父様のおられるキナイ川に向かいました。朝、お出掛けになるとき、そのように約束されていたのです。時間になると、約束場所にお父様の船が近づいてきました。おふたりはまるで何日も会えなかったかのように、非常に喜びながら対面されました。本当に美しい場面でした。船から降りられたお父様は、小さな食堂に入って私たちが包んできた弁当と注文した食堂の料理を召し上がりながら、キナイ川周辺の美しさについて語られ、「一緒に釣りに行こう」とお母様をお誘いになりました。

▲アラスカでサケ釣りをなさる真のお母様(右から2人目)。左端が鄭元周補佐官

 私はこの21年間、お母様に侍りながら非常に多くのことを学びました。そのうちの一つが、節約です。お母様は全てのことを科学的に整理してお考えになるかたで、浪費ということはありえません。お母様の整理整頓と節約精神は、私たちの常識を超えるほど徹底しています。

 私は、父母様のための物は常に新品でなければならず、値切ってもいけないものだと思っていました。むしろ、多めに払って買うのが良いことだと思っていたのです。

 ところがイーストガーデンに来てからは、それが全てではないことを知りました。例えば、マクドナルド(ハンバーガー店)に行ってケチャップが余れば、お母様はそれを包んで私に渡されるのです。また、(私たちスタッフは)外食をする際は足りなくなるといけないので、いつも人数より多めに注文するのですが、注文するたびにお母様は、「余ったらどうするの。節約しないと」と諭してくださいます。

(続く)

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 次回は、「国の最高指導者の前でも優雅に堂々と振る舞われた」をお届けします。

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書籍『真のお母様、感謝します』はコチラから

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