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心情開拓
心霊を育てる生活原則(94)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』より)

4 復帰歴史に見る生活原理
(1970年1121日)

▲李耀翰先生

【イエスを中心とする路程】
イエス様への第一試練

 では、イエス様は、なぜサタンからの三大試練があったのでしょうか。それは結局、神がアダムを中心としての三大目的をもったからです。二番目のアダムであるイエス様も、創造主の創造目的をもって地上に現れたからです。サタンは知っているのです。だからその問題をもって、「石をパンに変えよ」と言い、「みんなみ言(ことば)を聞いたけれども、現在の問題、すなわち腹が減ってみ言を捨てたではないか。あなた、腹が減ったではないか。腹が減ったなら、み言を大事にして苦労しないで、食べ物に価値観を置きなさい」と言ったのです。価値観を変えさせようとするのです。これは、「腹が減った時のパンが一番だよ。まず食べるんだよ。まず食べて生きたあとに言うべきであって、食べずに、み言ばかり考えていたって、つまらないではないか」と、こうサタンが言うのです。

 この問題には、私たちもいつもぶつかるのです。韓国におけるサタンは、この問題をもって来るのです。この衣食住を解決した向こうのサタンは、試練がちょっと高いのです。愛情問題をもって来ます。「これ食べてくれ。あなた衣食住は解決したんだろう。未来を考えるな。きょううれしく暮らせばいいではないか」と、こうサタンが誘惑するのです。

 しかし、イエス様は、「人はパンだけで生きるものではなく、神から出る一つ一つの言で生きるものである」と言われました。それは、あくまでもみ言、自分の本心の立場から離れずに言われたのです。いくら肉体的苦難があっても、自分の本心の立場で、み言を中心としたその心情は、変わらなかったのです。揺れなかったのです。個性完成とは、神から主管されるその中心は、揺れないということです。

 また、「そんなにみ言をもって苦労するな。あなたのような人間、どこにいるか。ヨハネもあなたを信じないのに、あなた一人で行ったってしょうがないじゃないか」、こういう時、私たちなら、「あなたの言うのは、確かにそうだ」と、相当サタンの言葉に相対基準が合いやすいのです。

 私たちは大勢いるからいいのですが、一人で行こうとすれば、これはたまりません。大先生は一人で、今までずーっと歩んでこられました。いつも大先生は、「皆さんは幸福だ」とおっしゃいます。相談する相手もいる、見てくれる人もいる、なんだかんだといっても、もうみんな聞いてみれば、すぐ解決できる、とても幸福だというのです。

 先生は一人です。聞く人もいない、いくら寂しくても相談するところもない、とにかく、先生と対話する相手がいないのです、今は。一人で歩く立場を見ると、本当に私たちはつらいのです。家庭から追い出され、洗礼ヨハネは共に行かない、この立場というのは、本当に悲惨な立場なのです。

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 次回は、「イエス様への第二試練」をお届けします。


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