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心情開拓
心霊を育てる生活原則(93)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』より)

4 復帰歴史に見る生活原理
(1970年1121日)

▲李耀翰先生

【イエスを中心とする路程】
水と船

 さて、だからあなたたちも、サタンが自分に働いているのを見たなら、すぐ、自分の内容を発見しなくてはいけません。

 「ああ、それで。今まで知らなかった。これはまあサタンよ、ありがとう」、自分も知らなかったのをサタンが見つけてくれたと、サタンに対しても感謝しなくてはなりません。感謝するとサタンは、自分のものがついているから言ったのであって、私たちを憎むのではないのです。だから、それを感謝しながら、みなサタンのものはサタンにやると、それからあとは、サタンは私たちに必要な面を協助するようになってくるのです。

 海の水と船との関係です。水は船と絶対一緒に暮らさなければならない関係にありながらも、もし船に穴があったなら、その水が主権をもち、そして主管された場合には船は沈んでしまいます。だから、サタンであるようだけれども、協助しなくてはならないのです。

 しかし、穴があって水が入ってくれば、その水を一生懸命憎まなくてはいけないのです。これは怨讐(おんしゅう)です。「どこへ入るのだ。お前は表で協助するようになっているじゃないか。なぜこの船の中へ入る」。そこで片っ端から怨讐視して取り扱います。外では親しい友達だけれども、船の中に入った水は、怨讐なのです。だからサタンは、私たちと親しくなり、協助するようにならなくてはなりません。神が愛する子は、サタン側の人たちも喜んで協助しようとするようになるのです。知っていますか?

 本当に神に愛される子は、不信者たちも、好んで何か協助したがるのはなぜでしょうか。つまり水です。聖書にあるように、一般世間の人は、水に例えられます。私たちは、その水の上に浮かんだ船です。船と水は、離れることができません。それが離れれば、どうなりますか。水がなければ、船を何に使いますか。サタンと私たちとの関係を、そういうふうに比較してみるといいです。だから、サタンを怖がるな、海を怖がるなというのです。それを知らない人たちが船に乗ったら、臆病になって、「ワーッ、この船がもしも転覆したら」と、こう思うともう、自分のためにある海も、怖がるのです。水は船のために必要なのに、その水を怖がって憎めば、どうなるのですか。

 既成教会では、サタンに対して、「恐ろしい」、「嫌だ」と言いますが、それは条件によって怨讐になっているのです。サタンが屈服して私たちに協助するのを見れば、自分の立場を発見するのです。だから迫害を受けてみないと、サタン側の人と会ってみないといけないのです。

 イエス様当時、パリサイ派の預言者と祭司長、あるいは書記官、長老たちが、サタンの先鋒に立ってイエス様を殺そうとしました。なぜかというと、イエス様がこの地上に現れる前には、神が一番愛された人たちだからです。イエス様を中心として、神から愛された者が一体となればいいのですが、ならない場合には、サタンが一番愛する者になります。その理由が分かりますか。

 もし金日成(キム・イルソン)の弟子、その一番弟子がこっそりと韓国に渡ってきた場合には、私たちは憎んではいけません。でかい者が捕まって、金日成の秘密が分かるようになったと、喜んで愛するのです。一番の怨讐だったとしても、こちらへ来れば、愛してあげるのです。

 だからサタンを、そんなに怖がってはいけないのです。サタンを怖がるよりも、サタンの出入りする、自分の穴を怖がれというのです。サタンの入る道さえなければ、協助しようとするのです。サタンも来て見て、自分が入る道がなければ協助するし、入る穴があればどんどん入ってくるのです。

 これは、サタン自身も、どうしようもないのです。水が入るのと同じく、サタンが入るようになるのです。サタンも自分を主管できないのだから。天使長も、自分が自分をどうしようもなかったのです。

 なぜかというと、エバの愛に引きつけられて、もう眠れないほど、エバのそばにいたかったのです。それは天使長もやむを得ないのです。だから、エバがよく主管して、良く利用されれば、幸福な天使長なのです。良く利用してくれれば、その主体者は天使長にとって、一必要なものとなります。そう考えると、私たちは、自分の欠点を一番怨讐視しなければなりません。自分はほったらかしにして、サタンばかり憎んでも、それは解決しないでしょう。まず、自分を知りなさい!

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 次回は、「イエス様への第一試練」をお届けします。


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