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心情開拓
心霊を育てる生活原則(89)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』より)

4 復帰歴史に見る生活原理
(1970年1121日)

▲李耀翰先生

【イエスを中心とする路程】
大先生と洗礼ヨハネ

 大先生が、洗礼ヨハネの使命をしている人の団体に行った時、その人が大先生を紹介する時に、「この人も韓国における一番のクリスチャンとして、神は復帰摂理をしているのです」と、「復帰」という言葉を使ったのです。そしてその人は、堕落は男女関係ということも知っているのです。その詳しい内容は知らないのですが。だから自分も本妻を捨てて、また神からの新たな結婚をしなくてはならないという立場で証(あかし)した人なのです。この人は、先生より56年前に生まれた人です。

 洗礼ヨハネもイエス様が神の愛する子だと証しました。その弟子たちも、イエス様に対して天からどういう啓示を受けたと、その団体の霊通者たちが証したはずなのです。大先生もこの金(キム)という先生のところへ行った時、その一番の霊通者たちが、大先生を「神が愛する者で、侍らなくてはならない私たち」ということまで教えたのです。この間、有名な弟子の一人が私たちの教会に来て、その秘密を教えてくれたのです。

 だから大先生が祈ると、金先生が祈るよりずっと情的圧力を受けるとか、説教したらもう痛哭(つうこく)するとか、言葉を聞いてみると霊力が強いのです。それでみなそこの弟子たちは、この先生は金先生以上に神に愛されたのだということを、証したそうです。

 それでも、この金先生は相当金持ちの信者をたくさんもっているし、大先生はただ日本からお帰りになって、一時電気会社にいたこともある人です。大先生は約6カ月この人の所へ通いました。

 だから大先生も、御自分の家族には一言も何をしているかを話さなかったとおっしゃったでしょう。なぜかというと、その家族は先生のことを、「ただ自分の息子だ、自分のだれだれだ」とこう思うからです。だからそう思う人には、なかなか話せないのです。

 皆さんも家に帰れば、「あ、何々ちゃん、帰ってきたか」、「くにちゃん帰ってきた」と、こう言った場合には、なかなかみ言を話せないのです。例えば、お母さんが黙って座っていて、自分の娘が何を話しても聞きたがる態度をもてば、私たちも、こうだああだと「原理」を話してみたいけれども、もう自分が今まで育てたんだからと、自分が乳を飲ませて育てたと、その動機のことばかり言うと、み言(ことば)はなかなか話せないのです。そこが、私たちが親戚に対して、伝道しにくいところです。

 だから、自分が家に行ってはいけないのです。自分の友達を送るのです。自分が自分の家を伝道しようとしないで、自分ととても情的に近い人を、自分の家へ送るのです。そうすると、ああどこそこのお嬢さんですかと、尊敬するでしょう。それから、み言を話せばいいのです。主体者より情的に低くなってこそ、水のごとく上から下へ流れるのであって、反対に流すことはできないのです。いくらなんでも、逆には流れません。生命というものも、自然と上から下へ流れるのです。だからイエス様も、一言もおっしゃらなかったのです。

 「祈ってみなさい、大先生の使命は何か祈ってみなさい」と、こう言われます。「そんなふうに祈っていいのですか」と、みなびっくりしてしまうのです。そのように祈る人はいないからです。先生は既成教会の信者が来た時、「韓国の中でどの教派を一番神が愛するのですか、と聞いてみなさい」と言うと、「そんなことも聞けるのですか」と、びっくりしてしまうのです。教派の名前を書いておいて、この中で、あなたの一番愛する教派はどれですかと、そう聞いてみればいいのです。それからこの教派に入って、それからまた聞くのです。すぐ探せるようになっているのです。

 イエス様が洗礼を受けた時、神は「愛する子だ」と証しましたが、洗礼ヨハネも男だから、神の愛する子女と同じ立場なので、使命上、洗礼ヨハネの使命とイエス様の使命は何か、分からずにいました。同じように、大先生も6カ月間、一緒に暮らしてみて、いつも金先生が先生の立場に立とうとするから、大先生も別れるほかないのです。

 自分の先生が来たのに、自分が先生の席にそのままにいるのです。自分には相当の数の弟子がいるし、その中には国会議員や大学の先生が、たくさんいるのです。先生はまだ若くて、256歳であり、自分は32歳くらいで、弟子はみな自分が教育した弟子であり、来たての若い人を、先生として侍るなんて、なかなかできなかったのです。

 会ってみれば、実力はすぐに分かるのです。あなたたちも分かるでしょう。信仰を互いに知れば、会ってみると、すぐ分かります。互いに話してみれば、すぐ分かるようになっているのです。だから金先生も、大先生のことを、自分も知らない内容をもった人だと分かったはずです。

 そうなら、その人は内容があるらしいということを判断してみるのです。「そんな内容を話さない人は、生意気な人だ」と、こう言わずに、判断してみればいいのです。謙遜(けんそん)に、「自分は今、使命としてこうやっているのですが、あなたはどう考えますか」と聞いてみればいいのです。そうすると向こうが、自分より以上の解釈の仕方とかすれば、「ああ、そう考えるのか、これは確かにこの先生は私を知っている人だ、私はあの先生を知らないが、あの人は私を知っている」と、こうなるのです。これはもう、すぐ位置が決まるのです。

 だから、イエス様も洗礼ヨハネの前へ行っても、黙っているのです。「私はメシヤだから、私に侍りなさい。あなたはメシヤを迎えるために闘ってきたのではないか」と、こう言うわけにはいかないから黙っているのです。

 この朴(パク)長老も、私が行くと、弟子は何万もいるけれども、私の前には自分は何も言うことはないというのです。善霊が、「あなたは黙っていて李(イ)先生の話を聞け」とこう言うそうです。その日に堕落論や復活論を、その朴長老に教えてあげたのです。復活論を知らないから、どういう霊が今協助しているか教えてあげると、自分は復活論を知らないのに、この人は復活や霊界の話をよく知っていると、黙って聞いていたのです。それで私が帰ると、そのままです。「居れ」とも言わない、「来い」とも言わないのです。

 それで、3回以上は行ってあげなくてはならないといって、大先生が3回は行かれたのです。それで3回目に行かれた時、「あなたの使命はもう7年過ぎた。受け継ぐ人を探さなければ、あなたの団体は解散になる」とおっしゃいました。それで、嫌になったのです。嫌でもどうでも、本当なのです。

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 次回は、「イエス様に侍るべき洗礼ヨハネ」をお届けします。


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