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心情開拓
心霊を育てる生活原則(90)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』より)

4 復帰歴史に見る生活原理
(1970年1121日)

▲李耀翰先生

【イエスを中心とする路程】
イエス様に侍るべき洗礼ヨハネ

 これからは、有名な霊通者たちの家へ行けば、もう、すぐ分かるのです。仏教の霊通者の所へ行った時、約60年間道人として生活している霊通者がいたのです。そこでは、「一番天で愛されている人が来る。だから、けさは御飯を食べるな。その人にまず食事をしてもらって、それから私たちが食べる」と言って、みな啓示を受けているのです。私たちが二人で行くと、早朝こういう先生が来るから、けさは御飯を食べてはいけないといって、みな待っているのです。それで、年取ったおじいさんにまずあげなくてはならないのに、若い私たちに御飯を持ってくるのです。

 神がここで、「この人たちにだけ、先に御飯を差し上げるように」と言うその理由は何かというと、侍らなくてはならない人だというのを教える目的で、そうさせるのです。しかし、それだけやって、それ以上は黙っているのです。それ以上何も、自分が責任を果たそうとしないのです。ただ天がやれと言ったから、先に御飯を差し上げたのです。まあ、食べるなと言ったから、食べない、それからその人の話を聞けと言ったから、ただ聞くだけです。それ以上はやりません。いつも、霊界のほうにばかり頼っていて、自分がやらなければならない責任を果たさないのです。

 だからイエス様も、洗礼ヨハネに現れた時には、「メシヤだ」と、こう教えているのです。自分より以上であればメシヤです。自分が今まで「自分の後ろにはメシヤがいるんだ、メシヤの道を真っ直ぐにするために来たんだ」こう言っていて、自分より以上の人であれば、侍ってみようと思っていたのです。責任は何か、侍ってみなければ分かりません。

 とにかく、その人が公のために献身しているのなら、貴重にしなくてはいけません。自分に主管されなくてもどうでも、とにかく公のために働く人であれば、尊敬しなくてはならないのです。これは私たちの団体だから貴重にする、これは他の団体だからいい加減にする、そんな差別をしてはいけないのです。私たちはどんな団体でも、公のために涙を流す人には、頭を下げて尊敬しなくてはなりません。なぜかというと、私がやるべき仕事を担当しているのだから、本当に感謝しなくてはならないのです。お互いに感謝しなくてはならないし、お互いに一つの目的のために、分担してやっている使命者たち同士が、本当に尊敬しなくてはならないのです。

 しかし洗礼ヨハネは、イエス様に対して侍らずに、今までのままでいたので、それで結局牢屋に入れられ、首を切られてしまったのです。牢屋にいる時、「『きたるべきかた』はあなたなのですか。それとも、ほかにだれか待つべきでしょうか」と、弟子を使って一回聞いたのです。でもイエス様は、「盲人は見え、足なえは歩き、らい病人はきよまり、耳しいは聞こえ、死人は生きかえり、貧しい人々は福音を聞かされている。わたしにつまずかない者は、さいわいである」と、とんでもない話をしたのです。あなたの使命を聞いているのに、「貧乏人に福音を伝えた、病人を治した」では、どんな意味か分かりません。

 「あなたがやらなくてはならない仕事を、こちらがやるようになった。あなたは不信した」と、こういう意味です。分かってみると、そうなのです。結局、洗礼ヨハネを失い、信仰人物を失ってしまったのです。それで、イエス様は、どうしますか。

 洗礼ヨハネの使命は、結局今まで歴史的に讒訴(ざんそ)をしてきたサタンに対して、アダムの立場に立つのです。すなわち洗礼ヨハネの立場というのは、アダムの代理者、アベルの代理者、堕落した人類の総責任をもった代理者です。だから何をやるかというと、カインの使命もしなくてはならない、アベルの心情も培わなくてはならない、それからアダム・エバの責任をもたなくてはならないのです。

 すなわち、天使長の使命と、子女の使命と、父母の使命、この三つを一緒にやらなくてはならないのです。だから、ラッパだけ吹いていてはいけないのです。洗礼ヨハネは、主体者に侍らなくてはならない使命があるのです。侍る人を探さなかったなら、今まで使命をもってしたものは、全部失敗してしまうのです。だから侍らなくてはならない一人を、探さなくてはならないのです。

 自分は熱心にラッパを吹いて、天使長の使命をして、それからカイン側の人と親しくなって、自分も父母の使命をする、これが私たちの使命です。

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 次回は、「私たちの立場と使命」をお届けします。


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