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心情開拓
心霊を育てる生活原則(83)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』より)

4 復帰歴史に見る生活原理
(1970年1121日)

▲李耀翰先生

【モーセ路程】
開拓時代に培った敵愾心(てきがいしん)

 私たちが開拓する時は、集まって礼拝ができなかったのです。看板がないといって、みんな石を投げつけるからです。「この野郎、看板のない所で教会だと言うのか、こんな異端、追い出せ」と言って。既成教会や、信者でなくても、みな「うるさい、うるさい」と。「教会でないのに、讃美歌を歌って、うるさくて眠ることもできない。みな追い出せ」と言うのです。礼拝もろくにできません。どこへ行っても礼拝ができないのです。看板が立てられないのです。家が建てられない、何もなくて始めるから、どこへ行っても殴られました。

 1954年から看板を立てました。隣の子供たちがみな取りに来るのです。家を借りて看板を立てたのですが、家が低いので、子供たちが看板を取っていってしまうのです。いつも看板がなくなってしまうので、きょうは看板がついているかなと、毎朝見てみなくてはなりません。また、どこかへ行っても、帰ってきた時は、まず看板を見ます、看板がついているかなと。こんなふうにいじめられました。

 親戚からもいじめられたのです。私も神学校の同級性から、「再臨主は人間だと言って、再臨主に会いに行った」と、みな笑っていました。自分たちは、イエス様が雲に乗ってくると信じているのに、こっちは「人間、女の腹を通じてくるのだ」と言うと、「お前の先生がイエスか、笑わすなよ」「おいおい、はっきりせい」と。道端でつかまると大勢の前に立たせて、「この野郎が、イエスが人間に生まれていると大きな伝道をして、自己を立てている」と、恥をかかせるし、逃げたらぶん殴られます。しようがなく、ずーっと、そこに立っているのです。あまり大勢来るから、何も言えずに立って、見物するままにさせました。

 ソウルの駅前でのことです。私は以前、南大門(ナンデムン)長老派教会にいたことがあるのですが、その教会の幹部たちと、東京にいた時の学校の同窓生と、道で出会ったのです。

 「おい、お前、そんなに頭悪くないのに、どうして長老派教会から脱退したんだ。再臨主が来たのか。来たならお前は何になるんだ。弟子になるのか、王様になるのか」と、冷やかすのです。そのように言うのは、徹底した信者だからです。

 お互いに同じ教会で親しくしていたのに、急に変なことを言い出したものだから、何十人も回りに集まって、私一人を精神病患者に対するように取り扱ってくるのです。だからやむを得ず、何か一言言うと、もっと大勢が集まってきて、何百という人に囲まれて、「この野郎、鞭(むち)で殴ってやろうか」と言うキリスト教青年たちに捕まったことがあるのです。

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 次回は、「山の上の祈祷会での出来事」をお届けします。


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