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心情開拓
心霊を育てる生活原則(77)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』より)

4 復帰歴史に見る生活原理
(1970年1121日)

▲李耀翰先生

【モーセ路程】
情的一体化がなされれば苦労はなくなる

 40年間その家の僕(しもべ)の立場で、チッポラという女性と自分と、命懸けで行くところに、女性がもっと命を懸けようとする情的一体がなされたのです。そこを目的として、40年間、僕の生活をしたのです。情的因縁さえできれば、神様は苦労させないのです。

 私たちが伝道する時、情的に一体となれば、絶対苦労はさせないのです。何かもう食べ物を持ってきたり、服を持ってきたり、23人、情的に結んだ人さえいれば、とにかく侍りたいという人がどんどん増えてくるのです。情的距離がある時は、苦労するのです。

 だから、モーセが40年過ごして、だれに会ったかというと、ヤハウェに会ったのです。どこで会ったかというと、いばらの柴の中です。そこで現れた声が、「履物を脱げ」と言ったのです。「脱げ」と言った目的は、なんでしょうか。

 不思議なことに「原理」を聞くと、夢の中で必ず靴を失うのです。また実際に、新しく来た人が、靴をよく失うのです。こんなにたくさん集まって礼拝するのに、一番最近に来た人の靴だけ一足なくなるのです。それは脱げということです。今までの自分の生活、今までの人間関係も、完全に清算してしまいなさいということです。

 モーセは、「靴を脱げ」と言われて、脱いで近寄ると、ヤハウェからの声を聞いたのです。なぜ、いばらの中で会わなければならないのでしょうか。モーセもいばらの生活、ヤハウェもいばらの中の生活、イスラエル民族もいばらの中の生活、そこから出発するのです。

 私たちも「原理」を聞く前は、相当悩んだとか、矛盾性を感じて考えたとか、精神的ないばらの帽子をかぶっていたはずです。イエス様も十字架につけられた時、とげのある冠をかぶりました。それはみな、象徴的であって、今も私たちはそれをかぶっているのです。悩み、精神的とげに刺されているのです。

 そこに現れたヤハウェに、「パロの前に行け」と言われて、「行きません、時がまだ来ていません」と、モーセは言います。

 モーセは血気があるし、執着心が強く、自分が一度思い込めば人の言うことを聞かない性質です。一回体験すると、そればかり正義だと固執する人間です。きのうの考えを、きょうまでもち続けるのです。40年前に、追い出され、怖がって逃げたその時のことが、今も頭に残っているのです。「パロは今も生きているから、帰ったら殺される」と、それで帰れないのです。そこでヤハウェは、「安心して行け」と言われ、三大奇跡を見せられたのです。

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 次回は、「三大奇跡の意義」をお届けします。


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