https://www.kogensha.jp/shop/detail.php?id=4099

信仰の伝統
教会創立以前から文鮮明先生に侍って(75)

 家庭連合の信仰の長兄である金元弼(キム・ウォンピル)先生(1928~2010)の講話をまとめた書籍、「信仰の伝統」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 本書を通じて神様の深い愛と文鮮明先生の心情の世界、信仰の在り方を学ぶことができます。

金元弼・著

(光言社・刊『信仰の伝統 教会創立以前から文鮮明先生に侍って』より)

第二部[講話集]生命と愛と理想を懸けて
一、何よりも神のものを愛する

▲金元弼先生

何よりも神と神のものを愛する

 イスラエルの風習によると、お嫁に行った女が貞操を守れないときには、石で打ち殺すという掟(おきて)があります。ところがナオミはルツに、ボアズの寝室に入って、足元に寝なさいと命じました(ルツ三・四)。

 ボアズが女好きな人であるならば、問題はないかもしれません。しかし、彼は大変模範的な人でした。それは、イスラエル民族の有力者だということからもうかがえると思います。ですから、酒に酔っていたボアズの目が覚めて、ルツを見つけた時に、許さなかったならばそれでおしまいなのです。ところがナオミには、神の恵みを必ず受けて迎えられると分かっていました。ナオミのこの心情とルツが一致するためには、いくら信じ難い話であっても、信じてそのとおりに従わなければなりませんでした。ルツは、死を覚悟して従いました。

 イエス様の時代にも、ペテロがイエス様に対して、「死の場へもあなたと一緒に行きます」と断言したのですが、彼はそれ以後、否定したのでした。このように言葉で言って認められることはできるかもしれませんが、決定の段階でつまずくことがたびたびあります。信仰の基台が築かれても、次の実体の基台でつまずくことが往々にしてあるのです。

 ナオミの三つの勧めに対して、ルツが勝利したということは、ある面において信仰の基台を築き上げた期間であり、言いつけを守ることは、実体の基台を築く期間です。その基台の上に祝福があるのです。それによってメシヤのための基台が築かれ、その上にメシヤが来られたのです。言葉だけ、約束だけでは何事も成りません。実体で勝利しなければなりません。

 私たちの生活の中でも、そういうことはたくさん繰り返されています。生命視するものが人によって違うのです。女性によっても違うし、男性の中でも違います。生命より愛し、大事にするものが、必ず自分の一番の敵、試練になります。それは何だというように、一まとめにして言うことはできません。私に大事なものでも、彼にはそうでないこともあるのですから。

 今私たちは、ルツを通じて、自分も家庭も、理想も、神も、信仰までも乗り越えて、本当の神と神の民族を、神の理想、神の家庭を大事にする心を習わなければならないと思います。ルツと同じように、私たちにも、この道に導かれる前の世界があります。それを全部否定して入ってきたのです。しかし、入っているとしても、ここで決定的に勝利しなければならない課題は、なお残っているのです。

 そういうことを考えると、最も大切なことは、私たちが認めたり認められたりするばかりでなく、決定し、決定されるという段階を経て、最終的に判定されるまで完全に勝利しなければいけないということです。何といっても、人々から「そうだ」と認められなければいけません。人からも、サタンからも、神からも、どんどん認められなければなりません。そういう過程がまだまだ残っていることを考えるとき、いつもいつも自分の生活の中で、厳しく分別しながら行かなければならないと思います。

 異邦の民の一人の娘でありながら、イスラエルの貴い血統を相続し得たルツのことを考えてみました。

---

 次回は、「先生の道は我々の伝統」をお届けします。


◆『信仰の伝統』を書籍でご覧になりたいかたはコチラ