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信仰の伝統
教会創立以前から文鮮明先生に侍って(69)

 家庭連合の信仰の長兄である金元弼(キム・ウォンピル)先生(1928~2010)の講話をまとめた書籍、「信仰の伝統」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 本書を通じて神様の深い愛と文鮮明先生の心情の世界、信仰の在り方を学ぶことができます。

金元弼・著

(光言社・刊『信仰の伝統 教会創立以前から文鮮明先生に侍って』より)

第二部[講話集]生命と愛と理想を懸けて
一、何よりも神のものを愛する

▲金元弼先生

み言を実践すれば神が分かる

 み言も、先生が勝利されたのちに、私たちに与えてくださるものです。試験をし、勝利して初めて、一つ一つ与えてくださるのです。人から聞いた話を語るのではありません。ですから先生は、尽きることなく、何回でもみ言を語ることができるのです。

 頭で習ってやったものは、何回かすればやりたくなくなります。そういう言葉は、人の頭の復興はできるかもしれませんが、生命の復興はできません。そこが違うのです。「人のために尽くしましょう」という同じみ言でも、語る人によって感動は違うのです。あなたとメンバーとが同じことを言っても、受け取る内容は違ってきます。

 まず、み言を自分のものとする過程が必要であることを忘れないでください。統一教会で長年やってきても、そういうことをしなければ、喜びがなく、み言の価値が分かりません。

 よく語る人がいいですか、話さなくてもよく行う人がいいですか。言葉で「愛する、愛する」と言う人より、「愛する」とは一度も言ったことがなくても、愛してくれる人が好きでしょう? 例えて言えば、話をする時は全部を話さないで、十あれば三くらいを残しなさいということです。

 話をたくさんすると、そのあとでおなかがすいたように、何かむなしさを感じます。自分にいっぱいあったものも、全部あげてしまえばなくなるでしょう? 例えば、1000ポンドをもっていたとしましょう。それを与える時は気持ち良くても、全部与えたあとは、何もなくなるからむなしいのです。それと同じです。

 そのむなしさは、満たされなければなりません。そしてそのためには、基盤がなければなりません。お金を稼ごうとしたら資本金、種になるお金が必要です。それがあれば、すぐまた増やせるのと同じです。

 昔、聖パウロが天上の情景を見ました。それを、13年後になって人々に証したのです。なぜか分かりますか。貴重さというのは、全部分けてあげると感じなくなります。自分だけがもっている時にこそ、宝石なのです。この人もあの人ももっていたら、価値がなくなります。それゆえ彼は、13年前に見た天上の情景の感激を、自分一人でもっていたのです。伝道に出掛けても、たくさんの迫害を受け、自分自身がダウンするような時にも、その情景を思い出して、また力を出して、勝ち抜いていけました。

 人を教えるのは、それ以上のものをもっている時です。そうでないのに、どんどん出してしまうと、何もなくなるから、ほかの人のところに行って、力を補ってもらわなければいけなくなります。神は、「まず、自分のものにしなさい、その次に、人に分け与えなさい」と言って、祝福を与えたのです。そうすれば、神の祝福は全部、全体に行き渡ります。

 ところが、自分が一致化せずに、つまり自分のものにせずに、ほかの人に与え、その人自身も自分のものとせずに、また人に与えたら、その人たちは全部空になります。そして、その一番末には誰がいるかというと、そこにはサタンがいるのです。そうすると、この人たち全部がサタンの側に入っていきます。神は、愛する人にみ言と祝福を与えたけれども、その人が自分のものとしなかったがゆえに、その祝福を誰がもっていくかというと、サタンがもっていくのです。

 皆様がいろいろな兄弟たちに教えたり、話したりする時には、まず自分のものとする努力、一致化させる期間が必要であることを忘れないようにしてください。み言をそのまま行ってみると、神のみ言、人格、心情もすべて分かってきます。

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 次回は、「怨讐を愛する」をお届けします。


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