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信仰の伝統
教会創立以前から文鮮明先生に侍って(67)

 家庭連合の信仰の長兄である金元弼(キム・ウォンピル)先生(1928~2010)の講話をまとめた書籍、「信仰の伝統」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 本書を通じて神様の深い愛と文鮮明先生の心情の世界、信仰の在り方を学ぶことができます。

金元弼・著

(光言社・刊『信仰の伝統 教会創立以前から文鮮明先生に侍って』より)

第二部[講話集]生命と愛と理想を懸けて
一、何よりも神のものを愛する

▲金元弼先生

一人一人を大切に

 説教では、「神の心情とはいかなるものか」とか「イエス様はみ言を伝えようとこの世に来たが、人々が信じてくれない時のイエス様の心情は、どんなにつらかったことだろうか」ということをよく教えてくださいました。

 ところが、その受け入れ方は個人個人によって違うのです。その時に起こり得る問題を、どのように処理するかは、先生が平常、一緒に生活しながら、個人的にふさわしい牧会をしてくださいました。

 私たちは先生のおかげで、たくさんの有名な山に登ることができました。そのころ先生はお若かったので、誰も先生より速く登ることができませんでした。そして、山に登っては、いろいろなお話をしてくださいました。そういう中で、兄弟が抱えている問題が一つ一つ解かれていったのです。

 先生はまず、食口(シック)たちの証しを聞いたり、どんどん歌わせたりされました。それで全員に歌わせました。人の前で歌ったことのない兄弟たちが、たくさんの人の前で歌う訓練ができました。好きな歌があると、先生がそれを歌ってくださいました。

 指名されて兄弟が歌うときには、毎日同じ歌を歌うわけにもいかないので、何を歌おうかと迷っていると、先生が「この歌を歌いなさい」「その歌を歌いなさい」と言ってくださいました。先生は、私が歌う歌をよく覚えていてくださり、私以上にその歌を好んで、御自身で歌われました。

 そういうことによって、メンバーはどう考えるかというと、「ああ、私の愛する歌を好んでくださっている、私よりも好んでくださっている」と考えるのです。そして、「先生は、私をこのように覚え、好んでくださっているんだ」と感じるのです。歌一つで、先生に対する信頼感をもつようになるのです。

 皆さんもそうではないですか。愛する夫婦の間で、相手にとても好きなものがあれば、自分は本当は好きではなくとも、相手を愛するがゆえに、相手が好きなものを自分も好きになろうとする世界があるでしょう? 自分の尊敬する人が左手で字を書くとすれば、私も左利きで書きたいという心がないですか。

 自分の尊敬する人が赤いネクタイをよく締めていると、私も赤いネクタイをしたくなります。愛する人、尊敬する人を見れば、自分もそうなりたいという心がわくのは、人間がもともと神に倣(なら)うように造られているからです。神に近いお方がいれば、その人のようになろうとするのは、神に近づこう、倣いたいという心があるからなのです。

 それと同じく、私が好きな歌を先生がよく好んで歌ってくださるということは、先生がその歌を好むように、私を好み、愛してくださっているということを意味するのです。ですから、皆さんもメンバーが好きなことを好んでやってあげるならば、メンバーはリーダーに対して、とても信頼感をもつようになるでしょう。このように先生は、とても近くでいろいろなことを教えてくださいました。

 先生は時々、「あなたの顔を鏡で見てごらんなさい」と言われます。「お前の顔は、上向きになるのが美しい」とか、「笑う時には、こうしたほうが美しい」とか、いろいろ気を配ってくださいます。心はそうでなくとも、顔つき、座り方、いろいろなことによって、人々にいい感じを与えたり、良くない感じを与えたりすることがあるのです。

 皆様の中にも、顔を変えなければいけない人がたくさんいます。顔が上向きになるのと、下向きになるのと、正面向きになるのとでは、表情が全然違ってきます。例えば、私がここにきちんと立って話すのと、近寄って話すのと、どう違いますか。笑顔をつくって話すのと、厳かな顔、恐縮した形で話すのと、また違います。先生は、そういう点まで非常に細かいのです。私は初めて会った人にも、笑いながら話す習慣があります。私が笑顔でやっていくものだから、気持ち悪く感じたらしく、言葉も通じないから、誤解されてにらまれたこともありました。「あまり笑顔で話し掛けると、軽く見られるんだ」と先生が教えてくださいました。また髪の毛を真ん中から分けた時も、「こちらのほうから分けなさい」と言われました。

 そのように先生は女性会員にも、男性会員にも、そういうところまでいちいち気をつけて、人のたくさんいるところではなく、先生と二人でいる時に、静かに教えてくださいました。ですから、中心に立つ者は、メンバーを嫌いになってはいけません。嫌になったら、もう何もできません。先生がそのようにしてくださると、私たちは先生を好きになって、どんどん話したくなります。

 先生が歌を歌わせる時にも、上手に歌う人の歌は聞きたいけれども、上手でない人の歌は気分を騒がせます。でも先生は、それをよく聞いてくださったのです。そういう人は、歌が上手でなくても、心はとても良い気分になって歌うのです。また、歌の内容をとても大切にして歌う人がいます。先生は、その人の心を大切にしてくださるのです。

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 次回は、「み言と一致化する努力」をお届けします。


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