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信仰の伝統
教会創立以前から文鮮明先生に侍って(66)

 家庭連合の信仰の長兄である金元弼(キム・ウォンピル)先生(1928~2010)の講話をまとめた書籍、「信仰の伝統」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 本書を通じて神様の深い愛と文鮮明先生の心情の世界、信仰の在り方を学ぶことができます。

金元弼・著

(光言社・刊『信仰の伝統 教会創立以前から文鮮明先生に侍って』より)

第二部[講話集]生命と愛と理想を懸けて
一、何よりも神のものを愛する

▲金元弼先生

段階に応じて語られるみ言

 先生が語ってくださるみ言を聞く時、それはただ頭や口から出るみ言ではないということを、まず分かってほしいのです。

 長年、先生のみ言に接していますと、先生は従来の聖人、哲人、神学者の話をそのまま話されているのではないということが分かります。先生は神学をよく御存じです。神学者たちが今まで解決できなかったいろいろな根本問題を、聖書を通じて教えてくださいました。どうしてそれが可能なのでしょうか。

 「統一思想」を学んでみれば分かるように、哲人たちが解決できなかったいろいろな問題に対して、先生は的確に説明されています。どうして先生が「科学の統一に関する国際会議(ICUS)」を考え、主催できるのかということを考えてごらんなさい。

 先生は博士の資格をもっていらっしゃいません(当時)。そういう方がどうして、ノーベル賞を獲得している学者たちを集められるのでしょうか。日本で、我々はテレビとか街頭で共産主義者との公開討論を提起しました。どうしてそういうことができるのでしょうか。先生は、それをいつ習ったのでしょうか。

 韓国には、キリスト教系統、仏教系統、儒教系統などの会合があります。しかし今、韓国では霊界に通ずることを迷信視し、非科学的なことだと言っています。学校でもそう教えています。

 それでも、最高学府を出た人であっても、国会議員の選挙になると、占い師の所に訪ねていって、「今度、私が国会議員の選挙に出れば、当選しますか」と尋ね、その占い師の話を聞いて立候補したりすることがいくらでもあります。結婚のことから事業のことまで、すべて相談してやっています。政治家は、いわばそういう人を背景にもっているのです。

 昔、王様がイギリスを治めていた時には、必ず王様の近くに霊能者がついていました。宗教家を顧問にして政治を行ったのです。政治をする人たちは、宗教家が必ず隣にいて、アドバイスを受けたのです。雑道の霊能者の話も、時代によっては真理のように感じられ、受け取られたのです。現在、宗教と科学は相反するもののように受け取られていますが、政治家は、宗教の教えに大変依存する傾向があるのです。

 占星術の人たちは、人の運命をよく証してくれます。それゆえに、何か自分に難しいことがあれば、そういう人を訪ねるようになるのです。韓国にはそういった人たちがたくさんいて、それぞれ天から「私は仏様だ」「私は再臨主だ」「道主だ」と、いろいろなお告げを受けます。そういう人たちは、人の病気を治したり、心霊の状態がよく分かっているのです。そういう人によって、お金をたくさんもうけ、成功した人もいます。ですから社長であっても、霊能者のアドバイスを常に受けていることがあるのです。

 私たちの霊能者の中にも、霊能者の集いを指導している人がいます。一週間に一度ずつの集会があり、そこに行けば大変おもしろいことがたくさんあります。彼らは、自分のことだけを話し、誇ります。全然人の意見を聞きません。自分の意見が絶対だという雰囲気なのです。ところが不思議なことに、彼らは私たちの教会員である一人の霊能者に対しては、そうではないのです。「私たちの指導者はあなたです」と話します。どうしてそうなるのでしょうか。

 避難の路程の際に、そのことに関して先生が話してくださったことがあります。先生は、私たちの知能、あるいは心霊が成長するにつれて、適切なみ言を下さいます。

 未来に起こり得る理想の世界のことをお話ししてくださり、私たちはそれによって、明るい未来を見つけたのです。また、それに反して、二つの現実に厳しく適応するように教えてくださいました。先生のなさっていることを見つめていると、私たちには見えなくとも、ある計画があって、その計画どおりに進めていらっしゃるような感じを受けました。

 一つの例えを言えば、伝道しても人が全然来ていない時に、先生は、「今年の10月になれば、人がたくさん入ってくるだろう」とお話ししてくださいました。そして、そのようになったのです。

 春夏秋冬の季節をすべて体験してみれば、春の次に夏が来て、その夏は暑く、いろいろな花が咲いて、厚い着物を着ることができなくなることを知ります。そのようにして春夏秋冬のすべてが分かるのです。先生が語られることは、ちょうど春夏秋冬が全く分からない人に、季節を教えているようなものです。

 その当時先生は、「これからは、どうして、どうする」と、具体的には話されませんでした。それで私たちは、時が過ぎて、その時が来てみないと分かりませんでした。当時、私たちは、「どのようにしたら神を喜ばせることができるのだろうか」「親の心を休ませることができるのだろうか」と考えて、自分なりにみ言を応用して、「こんなことをしたら喜ぶだろうか」「ああいうことをしたら喜ぶだろうか」というふうに気を遣った時期がありました。ある時は、「先生が喜ぶだろう、神が喜ぶだろう」と思ってやったところが、失敗した人たちもいました。

 先生は、私たちに必要なことであれば、必ず教えてくださいます。しかしながら、人によって成長の段階が違うのです。旧約以前の人もいれば、新約時代に当たる人、成約時代に当たる人もいるのです。そういう人たちに同じ形で教えるということは、大変難しく、無理が生ずると思います。

 先生は、全体にお話しされるほかに、いつも個人的によくアドバイスしてくださいました。そういう意味で、日曜日の説教の時間よりも、かえって平常の時間のほうが重要でした。

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 次回は、「一人一人を大切に」をお届けします。


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