シリーズ・「宗教」を読み解く 227
キリスト教と日本⑥
キリシタン大名の栄光と苦難の歴史

ナビゲーター:石丸 志信

 キリシタン大名・大村純忠ゆかりの地を訪ねてみた。

 長崎空港は大村湾の沖合に浮かぶ箕島を開発して造られた海上空港だ。
 空港と大村市内とは一本の橋梁(きょうりょう)でつながれており、その橋のたもとには「天正遣欧少年使節顕彰之像」が立っている。

▲天正遣欧少年使節顕彰之像

 1582年、キリシタン大名の大村純忠、有馬晴信、大友宗麟の名代としてヨーロッパに派遣された4人の少年たち。
 セミナリオ(神学校)で教育を受けた十代前半の少年、伊東マンショ、千々石ミゲル、原マルチノ、中浦ジュリアンは、長崎港から広くアジア、インド、ヨーロッパを歴訪し、キリスト教世界を見聞した。王侯貴族の大歓迎を受け、ローマ教皇に謁見(えっけん)し、その任を見事に果たしたのである。

 4人は8年後の1590年に帰国。
 当時の最新技術であった活版印刷機械などを持ち帰り、東西文化の懸け橋となった。
 うち3人は後にカトリック司祭となり、日本国内で司牧活動に励み、聖職者を目指す後輩の指導にも当たっている。
 4人の少年たちの像は、長崎空港を見つめるように立っているが、その視線の彼方(かなた)には長崎港、そしてはるかヨーロッパがある。

 キリシタン大名として領内のキリスト教化に尽くすとともに、海外との交易にも先駆けて取り組んだ大村純忠であったが、晩年は病に倒れ、息子・喜前(よしあき)に家督を譲り隠居した。

 およそ2年間の闘病生活の後、15875月、親しい宣教師らにみとられて亡くなっている。
 信仰を全うした純忠の終焉(しゅうえん)の地・坂口館は史跡公園となり、その功績をひっそりとたたえている。

▲大村純忠史跡公園

 純忠の死後間もなく、豊臣秀吉によって伴天連追放令が出された。
 ザビエルによるキリスト教伝来からおよそ40年を境に、キリシタンにとって困難な時代を迎えることになる。

 純忠の息子・喜前は、幼少の頃洗礼を受けていたが、秀吉に仕える上で日蓮宗に改宗し、領内における宣教師の追放とキリシタン弾圧に向かう。

 関ケ原の戦いでは東軍につき、徳川幕府のもとで初代大村藩主となった。幕府への恭順を示すために、領内のキリシタン弾圧を強化し、多くの殉教者を出していく。
 大村には、キリシタンの栄光と苦難の歴史が刻まれている。

▲帯取殉教地跡(大村最初の殉教地。1617522日に二人の宣教師がここで処刑された)


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