シリーズ・「宗教」を読み解く 228
キリスト教と日本⑦
日本布教の第二の父、ヴァリニャーノ

ナビゲーター:石丸 志信

 キリシタン大名の名代として4人の少年を選び、天正遣欧少年使節としてヨーロッパに派遣したのは、巡察師ヴァリニャーノだった。

▲巡察師ヴァリニャーノ

 彼は、1573年に東インド全域の諸事情を監督する巡察師に任命され、翌春、ヨーロッパを旅立った。
 ザビエルの遺志を受け継ぎ、インドから東南アジア、日本に至る東洋の新たな布教体制を確立する役割を担っていた。

 彼が最初に来日したのはザビエル来日からちょうど30年後の15797月。少年使節団と共に長崎を出港するまでの27カ月、第一次巡察期間を過ごしている。

 この間に、日本布教の任に当たっていた宣教師らと討議を重ね、彼が決断した方針は「適応主義」と呼ばれるものだった。
 日本の風習と伝統ある文化を理解し、それに順応しながら布教を進めることを基本原則とした。

 ヴァリニャーノ自身も、ザビエルと同じく日本人を「私が歩んだ他のいかなる土地におけるいかなる人よりも、(神の)救済を得るに適した人びとである」と言い、「全アジアの最良の信徒となろう」と評している。(『キリスト教史信仰分裂の時代』講談社 p.484

 この方針に従い実行された画期的な事業の一つが、聖職者養成のための教育制度を導入したことである。
 これにより、邦人が聖職者になる道を開き、日本におけるキリスト教の継続的発展の基を据えた。

 日本の古典文学とラテン語教育を主として人文課程を修めるセミナリオが有馬と安土に、神学生が聖職者に必要な哲学・神学を修めるコレジオが府内に、イエズス会士の修練院ノビシアードが臼杵に設置された。

 これらの教育機関においてヨーロッパの高い水準の学問が紹介されると共に、日本文化の研究も重んじられていたため、日本教会の発展に寄与したばかりでなく、東西文化の交流を促進することにもなった。

 ヴァリニャーノはまた、有馬晴信に洗礼を授け、織田信長に謁見、大友宗麟、高山右近らと会見している。
 彼はその後、第二次1590年~92年、第三次1598年~1603年の計3回日本巡察を行った。
 ザビエル以来の最大の貢献をなしたことで彼は、「日本キリシタン布教の第二の父」とも呼ばれている。


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