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心情開拓
心霊を育てる生活原則(52)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』より)

4 復帰歴史に見る生活原理
(1970年1121日)

▲李耀翰先生

アダムの家庭を心情的に理解する

 カインは、堕落した自分の親から離れて、神に復帰するという方向へ本心によって向かったのですが、敵愾心(てきがいしん)がなかったのです。敵愾心がないから、不快心をもって、結局、お母さんや自分を通過しなければならない人に不平を言ったかもしれないのです。

 カインは神に向かいました。そのあとの人は全部自分を通過しなければならない人なのに、向かった人が、こうなったからと、あとの人に不平を言っては、一人も行くことができないのです。結局、あとの人に不平を言えば、それを当然のことと思うはずなのです。

 神様の摂理に向けて、カインはアベルとお互いに授受しなければならないのに、話そうとせず、授受しないのは、敵愾心がないからです。

 イスラエル民族が、パロの主管圏より解放されて紅海を渡ったのちに、腹が減って肉が食べたくて、エジプトの生活を憧憬(しょうけい)し慕ったのを見ると、敵愾心がなかったのです。
 それがあったなら、死ぬにしてもこの場で死のうとし、滅んでも絶対悪主権下では滅びません。悪主権下から離れたのを感謝しなくてはならないイスラエル民族なのに、悪主権内での食べ物、着る物、暮らしが恋しくて顧みたというのを見ると、情的に切って出てきていないのです。信仰者はそういう面を整理しなくてはならないのです。

 世間と自分、自分と自分、み言(ことば)を中心とした復活した自分と、み言を受ける前の自分を、はっきり聖別、分別して、今までの自分に敵愾心をもって、敵として闘っていかなければいけないのです。それが、カインとしてもたなければならない心情だったのです。そうであるのに、かえって堕落性を脱ぐよりも、堕落性を再発露してしまったのです。

 そのように、蕩減(とうげん)するよりも、かえってこれから蕩減しなくてはならない条件を立てるようになったのを見ると、私たちも一番貴重な時に生まれて、貴重な条件を果たさないと、そんな摂理によって問題をつくり出す可能性があります。

 家庭問題を一番貴重にしているのです。だから大先生も一人でいらっしゃる時には、教会を中心として兄弟たちと一緒に暮らされましたが、家庭にあっては、家庭を中心として生活され、教会の兄弟を教会長に任せられました。すると教会長は天使長の立場を離れて、親の立場で情的に結んでいかなければならないというように、私たちに対して責任が違ってくるのです。

 特に、家庭をたくさん祝福する時期が、みなアベルの使命を果たさなければならない時期なのですが、私たちがアベルの使命を果たせなかったから、この三年間に天使長の使命から、カイン、アベルの使命を果たして、その基台の上に家庭をつくれば、理想的な家庭が成就するというのです。

 一般の家庭は、こういう情的な基台をつくらずに家庭をつくるものだから、夫婦げんかをしたりするのです。夫婦に情的な大きな衝突が起こる理由は、公のため、縦的な因縁と存在目的のための愛着心が弱いからです。そこから夫婦の不和が生じる危険性があるのです。

 それで、アダムの家庭をどういうふうに知るべきでしょうか。私たちもアダムの家庭的な存在基台をつくって、情的に体恤(たいじゅつ)しながら、アダムの家庭の一員として、だれしも責任をもって蕩減しなければならないのです。だから大先生は私たちに、アダムの家庭を、なるだけ霊的に、心情的に納得し、体恤するように強調されるのです。

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 次回は、「【ノアの家庭】神に選ばれる条件」をお届けします。


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