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心情開拓
心霊を育てる生活原則(51)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』より)

4 復帰歴史に見る生活原理
(1970年1121日)

▲李耀翰先生

敵愾心の必要性

 神はどういう人間に、どのように恨まれてきたかを知るには、伝道が一番です。伝道してみないと神の恨みを見つけることができないし、それを探して、私たちには怨讐(おんしゅう)がこんなに多いということを知らなければならないのです。そして、その怨讐を見て敵愾心(てきがいしん)を抱かない人は、この道を歩く人ではないのです。それは、理性的に、精神的にこうだと、外的に、天使長的に走る人であって、本来は、罪に対して敵愾心をもたなければならないのです。

 闘う心、敵愾心がいつも腹の中にあって、少しでも触られると涙を流すくらいのものがなければならないし、大先生が話されたように、少しでも触ったら爆発するような、そんな悲しみを隠していなくてはならないのです。一人で歩きながら、だれにも話せない、だれにも相談できない悲しみをもち、また伝道してみると、み言を中心としての敵が私の周りに、どれほどいるかを知らなくてはいけないのです。兄弟同士もそうです。

 原理を知らずにやっている者は、いつか怨讐になると思っていなくてはなりません。原理を知らない者は、いつか私たちと目的が違ってくるのです。ペテロは何も知らずにイエス様に命を懸けると言いましたが、結局終わりには目的が違っていたのを見ると、大先生が、「原理を知らない統一教会の信徒たちは、いつか怨讐になるんだ」と言われることが分かります。

 原理をどのように知るかというその方法、それから因縁、原理を知った自分の位置、それから主管性、そういうものをどういう立場で原理的に消化していくか、それが問題なのです。そういう位置が決まらない人は、いつか自分の思いどおりに、自分の事情によってわがままになっていってしまう可能性があるということは、その人の情的関係を見れば分かるのです。

 だから私たちの中に、どれほどカイン・アベル思想が高まっていくか、それから敵に対しての敵愾心をもった兄弟同士の情的な結びつきがどれほどあるかが問題なのです。
 なぜかというと、サタンから神に復帰する路程なので、私たちの周囲はみな怨讐ばかりであり、私たちに協助するものは一人もいないからです。

 カイン・アベルも怨讐になりやすいのです。二人とも同じ目的で歩いて、一人はささげた祭物に祝福を受け、一人は受けなかった場合には、これは大きな怨讐になってくるのです。殺すかもしれません。これが歴史なのです。私たちが歩いてきたやり方も、これなのです。だからお互いに喜びながらやっていますが、この二人のうち、一人だけが神に愛された場合、どれほど喜んで侍るかという内情的なものを考えた時には、怨讐になりやすい私たち食口(シック)ではないかということを、振り返らなければならないし、反省してみなければならないのです。だから、原理をどういうふうに授受し、消化していくか、だれと消化するかが問題です。自分一人で消化する人は危ないのです。アベルと消化するのですが、どのアベルと消化するかが問題なのです。

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 次回は、「アダムの家庭を心情的に理解する」をお届けします。


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