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心情開拓
心霊を育てる生活原則(50)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』より)

4 復帰歴史に見る生活原理
(1970年1121日)

▲李耀翰先生

家庭の重要性

 アダムの家庭を知っていながら、自分の位置を知らなければ、信仰路程で自分が何をやっているのか分からなくなってしまうのです。蕩減(とうげん)路程において、アダムの家庭でこういうふうになっている問題さえ蕩減していけば、私たちの勢力は全世界で大きなものとなるのです。

 大先生は、「家庭のない自分、家庭のない社会、家庭のない国家、家庭のない世界はない」と、いつも主張されるのです。今までの宗教は、家庭をそれほど貴重に取り扱ってはいなかったのですが、四位基台が発見されてのち、私たちは家庭を貴重視するようになったのです。だから、食口(シック)という言葉は、どこから出たかというと、アダムの家庭を失ったことから食口というようになったのです。日本語では、家族というでしょう。だから教会生活は、み言(ことば)を中心とした一つの家庭生活であり、その家庭にどれほど情的な基台がつくられているかを反省し、観察しなければならないのです。だから、アベルを通じて入ったのなら、自分のアベルは一人しかいないはずです。他の人のアベルはアベルではなく、自分が通過しなければならないアベルは一人しかいないのです。だからお互いに結んできた動機は別なのです。人間が生まれる時も、一人のお母さんを通じて生まれるように、一人のアベルを通じて天の主管圏に生まれる路程を探して、それを貴重にしていかなければならないのです。

 これは家庭問題です。だから信仰基台をアベルを中心としてつくり、それから実体基台をつくると、信仰の父母の基台、すなわちメシヤのための基台がつくられるのです。つまり、メシヤは父母として来て、地上の父母を相手にするのです。

 洗礼ヨハネはラッパを吹くだけでなく、自分が今までつくった集団の大勢の人の前で、お父さんとなって、父母の立場になって、メシヤと一体化しなければならなかったのです。しかし、父母の使命をしなかったのです。なぜならば、アベルを知らなかったからです。ということは結局、メシヤであるイエス様の立場を知らなかったので、天使長の立場でアベルに侍らなかったのです。

 だから私たちは外的にはあまり心配しないで、み旨を中心とした家庭の中での人格とか、それから情的な厚さ、密接な関係、それさえ結んでおけばいいのです。

 私たちが仕事を一緒にやる目的は、それを通してどれほど情的に深くなるか否かに目的があるのであって、そのやっている仕事自体に目的があるのではないのです。

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 次回は、「敵愾(てきがい)心の必要性」をお届けします。


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