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信仰の伝統
教会創立以前から文鮮明先生に侍って(45)

 家庭連合の信仰の長兄である金元弼(キム・ウォンピル)先生(1928~2010)の講話をまとめた書籍、「信仰の伝統」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 本書を通じて神様の深い愛と文鮮明先生の心情の世界、信仰の在り方を学ぶことができます。

金元弼・著

(光言社・刊『信仰の伝統 教会創立以前から文鮮明先生に侍って』より)

第一部[証言]先生と歩んだ平壌・興南時代
三、興南監獄での伝道

▲金元弼先生

私の苦しみの前に神の苦しみがある

 先生の心を理解したならば、もう一つ考えなければならないことがあります。例えば、私が問題のあるチームに6カ月、あるいは1年、一緒にいたとします。その時、彼らを導くのに、「あっ、これは私の間違いだ」「こんなふうにしよう」「こうして私は導いた」といって、自分だけが苦労したと思ってはいけません。私を通じて、いろいろと教育するために、苦しまれた神がいらっしゃることを忘れてはなりません。

 そしてまた、完全なリーダーではないのですから、メンバーたちを傷つけたこともあるし、メンバーが話を聞かないので、自分が傷つけられたこともたくさんあるのです。チーム・リーダーがよく導けなかったがゆえに、あるいは牧会できなかったがゆえに、傷ついて、教会から去ったメンバーもいます。それによって、リーダーもたくさん学んだのです。

 「今までチームが問題を引きずってきたが、自分だけでなく、背後で神も苦しんでこられた」というように考えるのです。新しいリーダーが来た時に、彼らの中にはメンバーを傷つけたり、苦しんだりする人も出てくるだろうと思います。けれども、私が神の心でその人をよく指導できれば、そのチームを通じての摂理が延長されるのではなく、短縮されるだろうと考えるのです。

 アダムが失敗した時に、アダムの代わりの者を、すぐ立てることはできなかったのです。アダムの身代わりを立てるのに、何年かかりましたか。ノアを立てるために、1600年かかったのです。ノアが失敗したときに、何年かかりましたか。それと同じように、Aというリーダーを出したけれども、チームをよくリードできなかったとすると、代わりの人を立てるには、それくらいの期間が必要だということです。

 皆さんは、最初の人ができないと、すぐ次の人に代えしまいます。そうしたら、メンバーも変わったと思います。形状的には変わっても、内的にはまだまだ変わっていません。最初の人よりも、あとに来た人がもっと上の立場に立たない限りは、引き継ぎがまだ終わっていないものと考えなければなりません。

 ですから、リーダーの立場を受け継ぐためには、新しい人はチームを率いていける基台をつくらないといけません。そこには、最初のリーダーとメンバーとの心情のかかわりがあります。その次の人もよくできなくて、代わりに新しい者が引き継いだとします。そうしたら、最初のリーダーがどのように導いたかを知らなければなりません。また、最初の人が牧会した以上の熱心さ、心情をもたなければなりません。それによって初めて引き継ぎが始まるのです。

 最初に良くできなかった者がいれば、新しく来た者が蕩減をしなければいけません。神が中心者を通じて何かを願うときに、神の目的を中心として見れば、最初の人と次の人は、同一の人なのです。ですから、最初の人が良くできたもの、できなかったもの、それらが全部次の人に引き継がれるのです。

 アブラハムが失敗したがゆえに、イサクがいけにえに立たなければなかったのです。み旨を中心として見れば、アブラハム、イサク、ヤコブは同じ人です。最初のアダムが堕落したがゆえに、第二のアダムとして来られたイエス様は、アダムが間違ったすべての蕩減条件を負わなければいけません。第三のアダムとして来られる再臨主は、第一のアダム、第二のアダムの、すべての蕩減を払わなければいけないということになります。

 前の人の責任は前の人の責任で、私に責任はないということはありません。皆さんは、それをはっきりと分からないといけません。

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 次回は、「犠牲の上にある今の私」をお届けします。


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