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信仰の伝統
教会創立以前から文鮮明先生に侍って(44)

 家庭連合の信仰の長兄である金元弼(キム・ウォンピル)先生(1928~2010)の講話をまとめた書籍、「信仰の伝統」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 本書を通じて神様の深い愛と文鮮明先生の心情の世界、信仰の在り方を学ぶことができます。

金元弼・著

(光言社・刊『信仰の伝統 教会創立以前から文鮮明先生に侍って』より)

第一部[証言]先生と歩んだ平壌・興南時代
三、興南監獄での伝道

▲金元弼先生

先生の路程は原理の道

 金(キㇺ)さんが誰か分かりますか。最初伝道された金さんとは誰ですか。先生が牢屋に入る1カ月前、既に死刑囚でありながら、「絶対に死なない。しかし、お前は南から上がってくる青年の先生を迎える準備をしなさい」と言われた金さんです。

 その次の朴(パㇰ)さんの話、分かりましたか。ただ漠然と知っているだけではなく、原理が分かるように、先生の路程で起こったことは、はっきり知らなければいけません。なぜならば、先生の路程は、原理の道をそのまま歩んでいる路程であるからです。先生の路程は、原理試験を受けるのと全く同じです。

 先生の路程は、ちょうどアダム家庭を中心とする復帰摂理、イエス様を中心とする復帰摂理と同じように、個人から世界までの、すべての路程の典型的な復帰路程なので、最も大事な路程なのです。

 いくらアダム家庭を中心とする復帰摂理の意味がよく分かっていても、先生の路程が分からなければ、どうしますか。古い兄弟は牢屋のことだったら、「あそこでこういうことをされた、ああいうことをされた」と、それくらいしか分からないのです。先生がそこで苦労された、その苦労自体が問題ではなく、苦労が何を意味するのかが重要なのです。どのようにしてその苦労を勝利されたかが問題であり、どういう心をもって苦労されたかが問題になります。

 私たちは、たくさん決心していろいろなことをやりますが、思いどおりにならないと、そういうところでつまずくのです。ところが先生は、そういう時に、どういう気持ちで、どのようにして勝利できたのでしょうか。それを皆様にお話ししているのに、全部忘れて、ただ苦労されたということしか覚えていないのです。

 先生が牢屋に入られて、12人以上の人たちが神の啓示を受け、先生の弟子になりました。その中の2人を、皆様に話しました。その2人を伝道するために、先生は命を懸けて伝道されたことをお話ししたいのです。

 まず、先生は先生御自身の苦労よりも、先生を遣わして6000年の復帰摂理を完成させようとされる神のことを考えられたのです。先生は御自身の運命はいくら変わっても構わない、しかし、先生を通じて6000年の復帰摂理を完成させようとする神の願い、先生が命をなくすことによって神の摂理が延長されたらどうするのだろうか、ということを考えられたのです。先生は、死ぬほど苦しむようなことがあってもいいけれど、命が絶たれるようなことがあってはならないと考えられたのです。普通の人は死にたくないと思うのでしょうが、その心とは全然違うのです。イエス様が十字架にかかる前に、なるべくなら死の杯を、十字架を免れさせてくださいと祈った心と同じものです。

 その次に、メシヤの使命がいかに難しいものか、ということを皆様にお話ししました。

 記憶していますか、先生御自身が言われたことをお話ししました。「他の人を苦しませるよりは、かえって先生が苦しむほうがいい」と考えられたのです。ですから先生のためではなく、その人のために決意したのです。そこが違います。自己中心ではないのです。その精神は、先生の路程に一貫してみなぎっているのです。

 例えば、問題児ばかりのチームを率いるリーダーがいるとしましょう。ほかのチームは、メンバーが良く、うまくやっています。「そこを私がやれたらいいなあ」という心が出てくるでしょう。しかし、先生の精神を受け入れるならば、どんな考えをするようになるでしょうか。

 もし、「難しい」と言って私がここを離れたら、誰かが私の代わりにこのチームをリードしなければいけません。「私は、この6カ月、あるいは1年、このチームでやってきた。もし、今私が離れたら、次の人は事情が全然分からないから、私が苦しんだ道を、その人はまた繰り返して苦しまなければならないだろう。それならば、私が苦しみを勝利していくほうがいいだろう。その人を苦しませないために、私はもっと苦しんであげよう」。

 こういう気持ちになれるというのです。

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 次回は、「私の苦しみの前に神の苦しみがある」をお届けします。


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