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信仰の伝統
教会創立以前から文鮮明先生に侍って(42)

 家庭連合の信仰の長兄である金元弼(キム・ウォンピル)先生(1928~2010)の講話をまとめた書籍、「信仰の伝統」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 本書を通じて神様の深い愛と文鮮明先生の心情の世界、信仰の在り方を学ぶことができます。

金元弼・著

(光言社・刊『信仰の伝統 教会創立以前から文鮮明先生に侍って』より)

第一部[証言]先生と歩んだ平壌・興南時代
三、興南監獄での伝道

▲金元弼先生

興南監獄での食事

 1948年の520日に、先生は金元徳(キム・ウォンドク)さんと一緒に、平壌から相当離れている興南(フンナㇺ)という所に移ったのです。咸鏡南道(ハㇺギョンナㇺド)興南監獄(徳里〈トㇰリ〉特別労務者収容所)です。です。日本の窒素肥料工場(日本窒素の朝鮮窒素肥料株式会社興南工場)でしたが、解放後に刑務所となったのでした。

 興南の刑務所に移ってみると、食事が大変で、死んでいく人たちがたくさんいました。重労働の仕事でしたので、なおさらのことでした。3カ月足らずで健康を害して、多くの人が死んでしまうのです。先生は、その刑務所で働いている人たちを一瞥(いちべつ)して、あの人は3カ月で駄目だというように感じました。そして3カ月たつと、その人は死んでしまうのです。

 共産主義国家というのは、その思想に反対する人でも、そのまま殺すことはできないものですから、ほかの人から、重労働をさせて殺したと言われるような条件に掛からないようにしたというのです。

 先生は出された御飯を見て、「この食事では5年間、生き延びることはできない」と感じました。そこで、どうしたら5年間、この食事で生き残れるかを考えられました。神が6000年の復帰の摂理をなさりながら、先生一人を尋ね求めてこられたことを考えたとき、先生お一人が問題ではなく、先生御自身が倒れたりすれば、今まで6000年の復帰摂理を求めてきた神様はどうなるのだろうかを、常に考えていらっしゃいました。
 先生の使命がどんなにつらく難しいものであるかということに対して、先生の次のようなお話を聞くことで、感じ取れると思います。

 先生は、御自身の使命が本当に難しいので、これを他の人に譲れないだろうかと考えられたことがあったそうです。御自身を中心としてそう考えて、いざこれを人に譲れば、先生御自身は非常に楽になります。しかし、「私が苦労するはずのつらいことを、彼が担わなければならないだろう」とこういう思いに至った時に、「彼がその道を行くよりは、私が十字架を負っていかなければならない」と考え直されたそうです。

 人を主管する責任者になりたい、あるいはリーダーになりたいという人は、世の中にたくさんいます。しかし、リーダーの責任を果たすことがどれほど難しいかということが分かれば、その責任をほかの人に譲りたいという思いに、必ず至るだろうと思います。リーダーとは、命令し、侍られる者であると考えるのですが、リーダーがそんなにもつらいものとは全然思いつきません。ですから、先生が考えたような心をもたなければ、そのリーダーは既に、リーダーとしての資格がないと思って間違いないと思います。

 「私はリーダーになってうれしい」と言う人は、もう初めの動機が駄目なのです。先生は御自身を問題としたのではなく、御自身を通じて成そうとする神を、もっと心配されたのです。それゆえに、先生は生きて神の願いを成就していかなければいけないと、強い決意に燃えたのです。

 そこで、先生は、まず精神的に、この食料で勝利していかなければならないと考えられたのです。ですから、「これではおなかがすいて駄目だ」というふうに心が弱くなれば、5年の刑期を終える前に死んでいくという惨めなことが起こるだろうと、考えざるを得なかったのでした。

 3カ月間は少ない食事を半分にして、半分をほかの人に与えました。そしてその半分で、「私はこれから5年間を生き延びなければいけない」という決意をされたのです。

 都会の人よりも農村の人のほうが、食事の量がとても多いのです。ですから、そういう農村で働いていた人々が刑務所に入ってきて、そのような食事をしたのでは、とても耐えきれません。どのくらい腹が減るかというと、その食事は豆が少し混ざった握り飯なのですが、それを与えられる時、ちょっとした拍子に豆が一粒落ちるとします。すると、その豆一粒が落ちたために、その日、一日中気分が良くないというのです。

 あまりにも無理をしていると、御飯を食べながら死んでいく人がいます。そうすると一緒に食事をしていた人にとって、今死んだ人を哀れんだり、同情の心をもったりするよりも、その人の御飯が問題なのです。ですから、その人が倒れると、いち早く誰かがその人の御飯を持っていくという、本当に耐え難い状態であったのです。

 また、御飯の中に石ころがあっても、それまでも食べてしまうというのです。あるいは、一さじで食べてしまうと早くなくなって、心理的にも少ししか食べなかったという感じになります。それで、少しずつ食べて、何とか長い時間をかけることで、たくさん食べたような心をもとうとしました。そういう心情を理解できますか。

 先生は、3カ月後には、御飯を分けるのをやめて、全部召し上がられました。その時に、どういう心をもって召し上がられたのでしょうか。半分は先生に与えられたもの、御自身のものと考えました。つまり、その最初の半分は、今この牢屋で囚人に与えられるものとして先生の分を受け取ったのです。あとの半分は、神が祝福して先生に与えたものだと考えられたのです。ですから先生は、人の2倍、2人分を食べることができるという心をもたれたのです。だからこそ、満足することができたというのです。

 私たちは、360軒の家庭教会(ホームチャーチ)の活動をしています。ヨーロッパからアメリカに来ているメンバーは、一人が一人のメンバーを伝道して、ヨーロッパに帰るようにしましょう。皆さんは、これから難しい使命が与えられた時には、常に今お話しした食事の時の心で行えば、必ず勝利できると思うのです。

 先生の第三次七年路程は1981年までですが、私たちは、第二次二十一年路程をまた考えなければなりません。「81年で全部終わりだ」と考えないで、「これから第二次二十一年を続けてまたやるんだ」という意気込みで行かなければならないということです。その次は、第三次、第四次と、そのようにして地上天国が成就されるまで行かなければなりません。もし、そういう心をもたないとするならば、そこで終わってしまうのです。

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 次回は、「朴氏、弟子となる」をお届けします。


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