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心情開拓
心霊を育てる生活原則(28)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』より)

2 個人と教会の発展のために
(1970年6月26日)

▲李耀翰先生

「原理」を貴重にする

 私たちが、伝道師たちに主張していることは、「原理」を貴重にするということです。それから大先生をいつも中心にしながらも、そこが基準であるということです。「原理」が私たちの霊的基準です。大先生が私たちの情的中心です。これによって、どれほど繁殖力を高めているか、どれほど自分が貴重に思っているものを、自分の生活に展開できるか、です。貴重に思っていたものは、責任をもたなくてはならないのです。ここが難しいのです。

 自分が貴重に思ったものはあるけれども、他を貴重にする人を、それと同様に取り扱うのは難しいのです。イエス様が、「自分は息子だ、神のひとり子だ」と、こう思った目的は、罪人を神の息子に救うためです。そのための自分が貴重であって、救う目的を果たせなければ貴重ではなくなるのです。これは貴重なものでなくなるのです。目的があるのです。

 イエス様が自分を貴重に思うのは、大衆のためです。自分が自分を誇ったのは、罪人のために誇ったのです。ただ自分がそうだから誇ったのではなく、「私は光だ。私を愛せ」と言ったのは、自分のためではなかったのです。「私を貴重にすれば罪人が救われる」ということを、教える目的で言ったのです。そういうところが、イエス様の親心なのです。

 既成教会の今までの歴史の延長は、自分たちが救われて、自分たちを貴重に思いながら、どれほどまた仲保者として、目的を貴重にするかが問題になっているのです。私たちも、どれほど人を愛するか。自分という基準が立って、これをどういうふうに横的に、平面的に開拓していくかが問題になるのです。

 それがなかなかできないから、教会が、約20から30名集ったら、それ以上増えなくなるのです。20から50名くらいになったら、「カイン・アベル」というトラブルが出てくるのです。これは結局、それ以上任せられないという、サタンの讒訴(ざんそ)の印なのです。それ以上の人間を取り扱えない段階だということになるのです。

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 次回は、「情的に授受する人をもつ」をお届けします。


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