シリーズ・「宗教」を読み解く 178
キリスト教の人生観⑩
神に対して犯した罪の自覚と悔い改めから始まる

ナビゲーター:石丸 志信

 キリスト教徒としての人生は、神様に対して犯した罪の自覚と悔い改めから始まる。

 詩篇第51篇はダビデの悔い改めの歌といわれるが、修道者はこれをわが祈りとしてきた。
 詩篇は、「わたしは自分のとがを知っています。わたしの罪はいつもわたしの前にあります」(詩篇 第51篇3節)との告白から始まり、「神よ、わたしのために清い心をつくり、わたしのうちに新しい、正しい霊を与えてください」(同10節)と嘆願する。

 切実な訴えは、罪のゆるしが人の業ではなく、神による再創造のみ業であることを示している。
 詩篇はこう続く。「神の受けられるいけにえは砕けた魂です。神よ、あなたは砕けた悔いた心をかろしめられません」(同17節)と。

 イエス・キリストの十字架を目の前にして、許されざる過ちに気付いた者は、その場で崩れ折れるしかない。十字架の傍らで、なすすべなく嗚咽(おえつ)し涙流しているうちに、その涙も枯れてしまう。すると不思議なことに、静寂が辺りを支配し、そよ風のような爽やかな空気に包まれる。

 その時初めて、「もうよい、立ち上がれ」と言われているように感じる。それは、イエス・キリストによって許されたことを実感する瞬間だ。許しは神から、キリストを通してもたらされる。自分はこれだけ悔い改めたのだから許されるだろうと考える余地さえ許されない。

 それから、許されざる者を許してくださったかたへの感謝の念が湧き上がり、喜びと賛美の声が溢れてくる。