シリーズ・「宗教」を読み解く 177
キリスト教の人生観⑨
罪人が生まれ変わる道

ナビゲーター:石丸 志信

 イエスを「知らない」「あの人の弟子ではない」「あの人とは何の関係もない」と3度も否定したペテロは、われに返って一層恐ろしくなった。

 イエスの弟子として捕らえられ殺される恐怖よりも、ひとたび「メシヤ」だと信じて従った尊いおかたを裏切ってしまった事の重大さに気付いたからだ。
 その時、さらなる行動を起こせばよかったかもしれないが、そこまでの勇気はなく、ただ、大声を上げて泣いている。泣いて、泣いて悔い改めたのだ。

 真の意味でキリスト教徒になるためには、ペテロと同じく、この悔い改めから始めなければならない。

 伝統的なキリスト教は、聖堂に大きな十字架が掲げられている。それも、その十字架にはイエスが釘付けにされている。この生々しい像を仰ぎ見ながら、このかたが救い主キリストであると認め祈ってきた。

 ごく自然なことだが、その凄惨(せいさん)な姿を見て喜ぶ人はいない。キリスト教徒とて、イエスが十字架にはりつけになっていることがうれしいはずがない。
 まずイエスの前に頭(こうべ)を垂れ、膝を折り、胸を打ち、涙を流して悔い改める。
 他の誰でもなく、イエスを十字架に掛けたのは、この私だ。私自身の過ちによって尊い主が今も十字架に掛かっていることに目を留めて悔い改める。

 創造主を裏切りサタンの縄目に捕らえられた罪人が生まれ変わる道はそこから開かれていく。