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信仰の伝統
教会創立以前から文鮮明先生に侍って(5)

 家庭連合の信仰の長兄である金元弼先生(1928~2010)の講話をまとめた書籍、「信仰の伝統」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 本書を通じて神様の深い愛と文鮮明先生の心情の世界、信仰の在り方を学ぶことができます。

金元弼・著

(光言社・刊『信仰の伝統 教会創立以前から文鮮明先生に侍って』より)

第一部[証言]先生と歩んだ平壌・興南時代
一、平壌開拓の日々

▲金元弼先生

火のようなみ言

 先生はその当時、先生を訪ねてくる人々に、テーブルに着いて話してくださいました。そのみ言は、とても簡単明瞭でした。創造、堕落、復帰原理という筋で、ポイントを突いて、12時間で全部話してくださいました。

 周りで一緒に聞いていた人たちは、先生の言われることに非常に感動して、よく頭に入れ、うなずきながら聞いていましたが、私はその人たちのようには、はっきりとは分かりません。感動できません。そこで、どうして私はそうならないのかと、先生のみ言を聞いて感動している隣の人に対して、非常にうらやましく思いながら、先生のみ言を聞いたことを記憶しています。私がキリスト教の教理が何も分からず、人生の問題に対する深刻な悩みを特別にもったことがなかったからかもしれません。

 私はその当時、先生のお年を聞こうとも考えなかったのですが、お年が分かったのは、それから何年もたってからでした。私には、先生が若くは見えませんでした。先生は、この世の人とも思えない、本当に慈悲深い、そういう平和のお方であると思いました。心が先生にどんどん引かれていったのは、否定できません。私は先生に会って、非常に平和感を覚えました。先生のみ言の一つ一つを熱心に書きつけておいて、それを覚えるくらい、何度も繰り返して読みました。私の心から離れないのはただ一つ、先生が下さったそのみ言であり、町を歩いても、どこを歩いても頭から離れずに、いつもいつも思い浮かべていました。

 先生の周りにいる食口(シック)たちは、年を取っている人や、若い人たちですが、私の目には、すべての人が神様のように、天使のように映りました。そこで、時間があれば教会を訪ね、「帰りなさい」と言われない限り、いつまでも教会の中にいました。もちろん、私に「帰りなさい」と言う人はいませんが、その当時は、午前零時から通行禁止(戒厳令)になっていたので、自分で時間を見て、帰らなければなりませんでした。食口たちと一緒に、先生のみ言を、通行禁止の時間になったことも忘れて聞いていた時には、そのまま教会に一緒に泊まりました。

 食口たちは、本当に道を求めてきた人たちでしたので、通行禁止の時間が迫っても、なかなか教会を出ようとはしませんでした。

 私がこのように、先生がされた最初の牧会のことを話しているのは、その時の先生の様子を、皆様にも共に想像してもらうためです。

 皆さん、アメリカでは、男女が同じ部屋で話し、いろいろな人が寝泊まりしていても、何か言う人はいません。けれども、当時の韓国では、たとえクリスチャンであっても、男女が夜遅くまで同じ所で、長く話し、そこに寝泊まりするということは、本当に理解し難いことでした。アメリカでは、全部屋に壁と戸があって、隣の部屋に人がいても見ることはできませんが、韓国の家というのはそうなっていないので、人々がいるのを見ることができるのです。

 先生は、み言を与えることによって人々の生命が復活するのを願う、その一念で、それを心掛けていらっしゃいますので、時間が遅くなっても、人がどう見るだろうかということを気にせずに、み言を下さいました。

 先生は、み言を語るにしても、お祈りをするにしても、いつもいつも涙を流していらっしゃいました。今、先生は中年と言われる年齢を超えていらっしゃるのですが、私たちの前でみ言を、本当に大きな声で、熱心に語ってくださいます。26歳という若い時の先生が、小さな部屋で、どれくらい大きな声で熱心に語ってくださったか、想像するのは難しくないと思います。

 先生はみ言を語り始めると、食口たちが用事があって立たない限り、いつまでも語り続けられるのです。また、先生がお話しされる時に、入神する人、予言する人、異言を語る人、その異言を通訳する人もいました。そのような雰囲気の中で、食口たちの大部分は火を受けるようになり、ある人は肩から火が入ってくるのを感じました。また、胸から火が入ってくるのを感じ、熱いながらも平和感を感じていました。

 先生は、公席では、お話をたくさんしてくださいますが、私席においては、絶対にみ言を語られないのです。そして先生がみ言を語り始められると、神霊の役事が起こるのです。そうなると、声が大きくなり、その次には、体がじっとしていられないのです。過去には、神の心情を知らなかった人が、神の心情を体恤(たいじゅつ)するようになって、悔い改めながら泣き、泣いたあとは心からうれしくなって、喜んで歌ったり、踊ったりするので、礼拝は大騒ぎとなるのです。

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 次回は、「なぜ大きな声で語られるのか」をお届けします。


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