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信仰の伝統
教会創立以前から文鮮明先生に侍って(4)

 家庭連合の信仰の長兄である金元弼先生(1928~2010)の講話をまとめた書籍、「信仰の伝統」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 本書を通じて神様の深い愛と文鮮明先生の心情の世界、信仰の在り方を学ぶことができます。

金元弼・著

(光言社・刊『信仰の伝統 教会創立以前から文鮮明先生に侍って』より)

第一部[証言]先生と歩んだ平壌・興南時代
一、平壌開拓の日々

神霊と真理に満ちた礼拝

 先生がいらっしゃった教会は、今私たちが考える、こういう教会の建物ではなく、普通の家庭の家でした。その家には夫婦がいましたけれども、長年の間、霊的体験をして、真理を求めてやまない夫婦でした。信仰生活をしながら、別居し、夫婦の生活をしないで、再臨のメシヤを迎える準備をしていた家庭でした。また、親戚の人が二人一緒にいて、信仰の生活だけを中心とした家庭でした。

 その家は小さくて、部屋が一つあり、キッチンがあります。キッチンといっても、皆様のお国(アメリカ)にある、そういうキッチンではありません。また、いすを置いて食事をするようにはなっていません。食事を作ったら、小さなドアから運んで、食事をするようになっています。寝室で食事をするということです。そして壁の向こうに、一つの小さな祈祷室がありました。庭があって、そこからも入れるようになっていました。先生は、この部屋にいらっしゃいました。韓国にはスチームがありませんでした。皆様も韓国へ行ってみて御存じでしょうが、全部オンドルのシステムになっています。しかし、この部屋は床式になっていて、冬でも火を入れることはできませんでした。そういうことを皆さんは、頭に入れて聞いてほしいのです。

 先生がいらっしゃった教会の建物は、住宅街にあって、ずーっと家が並んでいました。皆様の家は、大きな声を出しても隣の部屋に声が伝わらないようになっていますが、そういう住宅街ですから、大きな声で歌ったりすると隣の家にも聞こえるくらいに隣接して建てられていました。

 私が先生を、その家に訪ねた時の様子を話しましょう。
 その日は、平日でした。当時、「真理と神霊で礼拝する、南韓から来られた若い先生がいる」といううわさは、たちまちのうちに広まりました。真理を求めて霊能者、あるいは求道者が、しきりに先生を訪ねてくるという時でした。私は何も分からない幼い時でしたので、先生に何も聞けませんでした。質問することは全然ありませんし、言われることを聞くだけでした。それは、何も分かっていなかったので質問できなかったということです。

 私が初めて先生にお会いした時から2週間、先生は、新約聖書のローマ書を教えてくださいました。暑い夏の7月でしたが、狭い教会に多くの人たちがいっぱい集まって、み言を聞いていました。先生の若い時の情熱はすこぶるすごく、講義が終わったあとなどは、韓国服は汗でぬれ、絞れるほどでした。当時の私は、本当に何も分からない、小さな末端の信徒としていたのです。最も幼い、年よりも幼く見られるほどでした。

 私を見て先生が最初にお話をしてくださったひと言が、今でも忘れられません。先生は、「お前は、非常によく瞑想(めいそう)するだろう。しかし、瞑想するときは、中心を求めて瞑想するようにしなさい」と、ひと言話してくださいました。事実、私はたくさんのことを瞑想、あるいは考えたりしました。瞑想する時に、その中心性を求めていくということに気づいておらず、先生が教えてくださったことは、本当にそのとおりでした。全然気がつかないでいる私を、最初に行ったその時に、先生は御存じでいらっしゃったのです。「先生は、どのように私のことを分かって、話してくださったのだろうか」と思います。

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 次回は、「火のようなみ言」をお届けします。


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