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信仰の伝統
教会創立以前から文鮮明先生に侍って(3)

 家庭連合の信仰の長兄である金元弼先生(1928~2010)の講話をまとめた書籍、「信仰の伝統」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 本書を通じて神様の深い愛と文鮮明先生の心情の世界、信仰の在り方を学ぶことができます。

金元弼・著

(光言社・刊『信仰の伝統 教会創立以前から文鮮明先生に侍って』より)

第一部[証言]先生と歩んだ平壌・興南時代
一、平壌開拓の日々

先生との出会い

 文鮮明(ムン・ソンミョン)先生が、ソウルから北韓の平壌(ピョンヤン)へ来られたのは、194666日でした。

 私が先生に出会ったのは、その年の717日でした。46年というと、皆様も御存じのように、第二次大戦が終わった明くる年になります。

 その当時、先生は26歳の若さでした。けれども私は、若いというような感じは全く受けませんでした。私は18歳で、高等学校(平壌師範学校)を卒業して間もない時でした。私のおば(金仁珠〈キㇺ・インヂュ〉女史)は、その年の611日に先生と出会ったのでした。

 先生は、天宙復帰という、歴史的に特別な摂理のためにやって来られました。その時、先生はみ旨を慕って、お生まれになったばかりのお子様をソウルに残して平壌に来られたということを知っていた者は、一人もいませんでした。先生は食物を得るために田舎に行かれたのですが、その途中で、「北韓に行ってみ言を伝えなさい」という神様の指示を受けて、それに従ってその場からすぐ、困難に耐えながら38度線を越えて来られたのです。

 私が先生に平壌で出会うようになったきっかけは、学校を出たあとの自分の将来について、おばに会って相談をした時に、文先生のことを話してくれたことからでした。おばは、私の将来のことよりも、先生について話してくれたのです。というのは、先生に出会うことによって、私の将来が運命づけられることが分かっていたからだと思います。先生は、私がお会いする約40日前に、韓国の首都であるソウルから平壌(景昌里〈キョンチャンリ〉)に上がってこられたばかりでした。私のおばは、私よりも先に先生にお会いしていて、大きな恵みの中にあり、その時は、先生に関するお話がすべてでした。

 おばは、大変熱心なキリスト教信者の家庭で育てられた人でした。教会へ行ってはいましたが、なかなか解決できないいろいろな問題を抱えていました。そんな時に、先生を通して、その問題についての非常に根底的、根本的な解決を得ました。それと同時に、霊界からの様々な啓示によって、無条件に先生を信じてきたのです。

 おばは、「南から上がってきた若い先生がいますが、この先生は神霊と真理によって礼拝し、牧会をしています」と、しきりに私に話してくれました。私はその当時、キリスト教に身を置いていたのですが、まだキリスト教の教理がよく分からず、ただ生活をするだけであって、本当に真理に対して分かっていない、そういう幼い時でした。聖書を読んでも、聖書の内容が理解できず、またお祈りをしても、どんなお祈りをしたらいいのか、そういうことも分からず、ただ心の中でお祈りをするというような時でした。当時、私は、真理を求め、神を求めて、何年もの間、一人で求道生活をしていたのでした。

 そこで、おばからそういうふうに聞かされて、直ちに先生の所を訪ねました。しかし、平壌には修行者がお祈りする、大成(テーソン)山という丘のような山があるのですが、そこに先生はお祈りに出掛けられていて、まだ帰ってはいらっしゃいませんでした。それで、その日は会うことはできませんでしたが、1週間後になって会うことができました。

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 次回は、「神霊と真理に満ちた礼拝」をお届けします。


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