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2026.06.24 22:00

スマホで立ち読み Vol.42
『統一思想へのいざない(原相論編)』10
木南章良(統一思想研究院首席研究員)著
『統一思想へのいざない(原相論編)』の一部を「立ち読み」でご覧いただけます! 毎週水曜日にお届けします。
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(三)無形の父母なる神の夢は、実体として地上に真の父母を立てること
さらに、神主義では、無形の父母なる神の夢(*33)は、実体として地上に真の父母を立てることであると考えます。真の父母とは、アダムとエバのように、人間始祖に当たる人間です。

アダムとエバは、無形の父母なる神が具体的に実体として現れた「神の体」です。つまり、アダムは父なる神の「体」であり、エバは母なる神の「体」であるといえます。無形の父母なる神は、そのように地上にご自身の体を創造し、アダムとエバという夫婦間で愛の刺激を感じて、その子孫を繁殖したかった(*34)のです(本書164頁「真の父母は神の体」参照)。
真の父母になるはずだった最初のアダムとエバは、堕落してしまった(*35)ため、真の父母になれませんでした。これを図で示すならば、人間が、神ではなくサタンを中心として四位(よんい)基台を築き、原罪を持った悪の子女を生み殖やしてきたと表すことができます。罪とは「サタンと相対基準を造成して授受作用をなすことができる条件を成立させることによって、天法に違反するようになること」と定義され、原罪は「人間始祖が犯した霊的堕落と肉的堕落による血統的罪」をいいます(詳しくは『原理講論』の堕落論を参照(*36)。この原罪は、言い換えれば、アダムとエバの堕落によってその子孫である全人類に血統的に引き継がれたサタンの讒訴(ざんそ)圏であるともいえます。
真の父母になるはずだった最初の男女が堕落したので、神は後(のち)のアダムとして、独り子であるイエス様を送りました。この時人類は、地上に神の父性を代表した人格を歴史上初めて迎えたわけです。イエス様は本来、十字架にかかるべきではなく、地上で新婦(真の母)を迎えて真の父母になるはずでした。ですから独り子だけでなく、独り娘が必要だったのです。しかし、イエス様は独身で十字架にかけられ、摂理的には準備されていた独り娘が立ちませんでした。
その後、十字架にかかって亡くなったイエス様は復活し、聖霊と共に霊的な真の父母となって、その霊的子女であるキリスト教徒を中心に人類を導いてきました。キリスト教では「イエス様は死んで人類を救うために来られた」といいます。しかし統一思想では、イエス様が死んでから復活して人類に霊的救いをもたらしたことは事実ですが、十字架の死は二次的な摂理であると捉えます。生きて人類を救われるのが、一次的な摂理だったのです。
ここで摂理に一次、二次などがあるのは、後に述べるように、神の摂理の進展に人間の責任分担が関係していると考えるからです(*37)。この時の一次的摂理とは、生きたイエス様が地上で真の母と聖婚し、真の父母として人類を生み変えて救うことでした。統一思想で言う「救い」とは、父母によって生み変えられることです。イエス様は死ななくても、救いの道を開ける権威を持っていました。イエス様は実際、マタイによる福音書九章六節で「人の子は地上で罪をゆるす権威をもっている」と語っています。
イエス様は霊的真の父母にはなりましたが、やり残した霊肉の救いがあるため、「わたしはまた来る(*38)」と言い、再臨した後は「小羊の婚宴(*39)」 を行うというのです。そして図で示したように、再臨主と真の母が体を持った霊肉の真の父母として聖婚し、人類をサタンの血統から神の血統へと生み変えるのです。
文鮮明(ムン・ソンミョン)・韓鶴子(ハン・ハクチャ)総裁は1992年、自らがメシヤ、救世主、再臨主、真の父母であると宣言(*40)しました。
真の父母宣言は、悪い意味では「自分たちが王様、女王様だ」と自ら語っているように聞こえるかもしれません。しかし、文鮮明・韓鶴子総裁は「善君」というものについて、次のように述べています。
王は、自国の家庭のために自らの息子、娘を犠牲にし、自らも犠牲にしなければなりません。そのように犠牲にしてでも、自らの民族を食べさせて生かす、その責任を果たす人が善君なのです(*41)。
このみ言(ことば)は、神が独り子であるイエス様を捨ててでも、人類を救った姿と似ています。文鮮明・韓鶴子総裁も、自らの子女を犠牲にしてでも、神の摂理を導いてきました。また、「サタンを自然屈伏させる秘法とは何でしょうか。怨讐(おんしゅう)を自分の子女よりもっと愛する真の愛の力によってのみ、初めて可能となるのです(*42)」とも述べています。
ところで、再臨主は一度来られた独り子の再臨ですが、真の母は人類史上初めての独り娘です。神の女性性が独り娘、ホーリーマザー・ハンを通して初めて地上に現れることから、独り娘出現は、歴史的大事件です。フェミニスト運動などで提起された、男女不平等に対する問題が完全に解決する契機となるのです。
ドストエフスキーは『カラマーゾフの兄弟』の中で、次男イヴァンに次のように語らせています。
お前は、個人たると全人類たるとを問わずすべての人間に共通する永遠の悩み……その悩みとは、《だれの前にひれ伏すべきか?》ということにほかならない。(略)
人間という哀れな生き物の苦労は、……すべての人間が心から信じてひれ伏すことのできるような、……対象を探しだすことでもあるからだ。まさにこの跪き 拝はいの統一性という欲求こそ、有史以来、……人間一人ひとりの最大の苦しみにほかならない(*43)。
人間の有史以来の永遠の悩みは、跪(ひざまず)いて拝む対象を探すことであるというのです。無宗教的雰囲気が拡大する中でははるかに遠い話のように聞こえるかもしれませんが、人間は「心から信じてひれ伏すことのできる」、人類の父母のような存在を探し求めてきた、というのです。
また、文鮮明・韓鶴子総裁は、支配者と被支配者の問題について次のように述べています。
今日、政治哲学で問題となるのは何でしょうか。支配者と被支配者の問題です。この問題をいかに解決するかということが今まで悩みの種でした。……よりために生きる立場に立った中心存在の支配を受け、主管を受けることを、今日の人間は恥ずかしいことのように思っていました。「人に支配されるなんて、たまらない!」と言いますが、とんでもないことです。心から自分のために生きてくれる人から完全に主管され、支配される立場が、どれだけ幸福な立場か、私たちは今まで考えもしなかったのです(*44)。
真の愛の持ち主によって支配されることは幸福であるという点については、読者の皆様にも一度、祈り考えてみていただければと思います。キリスト教徒は、神の支配、イエス様の支配に、この上ない喜びを感じてきました。
【注釈】
*23 天一国経典『平和経』、53頁。
*24日本歴史編纂委員会、『文鮮明先生の日本語による御言集3』初版第3刷(東京:光言社、2020)、29頁。
*25 天一国経典『平和経』、940頁。
*26 天一国経典『平和経』、1452頁。
*27 『口語訳 聖書』マタイによる福音書5章44節。
*33「創造の前から、神様にも心と体がありました。心と体が一つになった立場で、相反することのない愛の中で、理想的な愛の世界の実現を夢見ながら生きていらっしゃったというのです」、真の父母様み言編纂委員会(韓国)、天一国経典『天聖経』、世界平和統一家庭連合 天一国経典日本語版翻訳出版委員会訳(東京:光言社、2019)、272頁。
*34天一国経典『天聖経』、95頁。
*35『口語訳 聖書』創世記3章。
*36『原理講論』、106~121頁(堕落論)
*37『原理講論』、178~192頁(十字架による救いの摂理)。
*38『口語訳 聖書』ヨハネによる福音書14
章3節。
*39『口語訳 聖書』ヨハネの黙示録19章9節。
*40文鮮明先生말씀編纂委員会、『文鮮明先生말씀選集』243巻(ソウル:成和出版社、1999)、168頁。
*41世界基督教統一神霊協会、八大教材教本『天聖経』改訂第三版(東京:光言社、2010)、2185頁。
*42『平和神經』、31頁。
*43ドストエフスキー、『カラマーゾフの兄弟』文庫版(上)、原卓也訳 (東京:新潮社、2006)、639~640頁。
*44天一国経典『平和経』、81頁。
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次回は、「頭翼思想」をお届けします。