2025.12.09 17:00

シリーズ・「宗教」を読み解く 391
ユダヤ・キリスト教の歴史に見る選民の共同体⑩
主の死と復活を記念する共同体
ナビゲーター:石丸 志信
聖霊降臨後に生まれてきた新しい共同体は、まだユダヤの伝統内にとどまっていた。
使徒たちはたびたび神殿に上り、その場でイエス・キリストを証しし、癒やしの業を行っていた。
まだユダヤ教とキリスト教の区別はなく、弟子たちは安息日の伝統を守っていた。
それに加えて、週の初めの日、すなわち、安息日の翌日にも彼らは祈りの集会を持つようになった。それは、イエスの復活が週の初めの日に起こった出来事だったからだ。
安息日が明けた朝に、イエスの墓に詣でた女たちが主の復活の知らせを聞いた。主の復活の出来事は驚くべき神の御業(みわざ)であったし、救いの御業の始まりでもあった。
聖霊降臨を経て、そのことがより鮮明に理解できるようになった。
彼らは主の復活を記念するこの日を主の日と名付けて毎週礼拝を行うことになる。
使徒たちの宣教活動が進み、異邦人へと福音が伝えられるようになると、ユダヤの伝統から次第に離れていくことになる。
ユダヤの伝統であった土曜日の安息日をやめ、日曜日を新たな安息に当てて聖別した一日をささげるようになっていく。
ユダヤ教では、律法の書(トーラー)を朗唱し、出エジプトの出来事を思い起こしてきたように、キリスト教会ではこの日を主の日と呼び、新旧約聖書、特に福音書を読み、イエス・キリストの受難、死、復活を記念する。
待ち望んでいたメシヤ、神の独り子が父なる神から送られ、この地に誕生したこと。そのかたが公生涯を送られる最中に、人々から追われ十字架に架けられて殺され、黄泉に下り、3日目に復活されたことを思い起す。
聖霊によって新たな生命を与えられたことで罪と死から救われたことにより、この出来事を新しい過ぎ越しと捉えることができた。
この礼拝行為の中で、イエスと直接会ったこともない弟子たち、新しく弟子の群れに加わる者たちにおいても、イエスを裏切り十字架につけた罪を悔い改め、赦(ゆる)され、聖霊を受けた体験を共有することができた。
七日ごとに訪れる主の日は、ユダヤ教の安息日がそうであったように、神の創造の七日目の記念でもあった。
創造主の救いの経綸は今なお進行しており、イエス・キリストの降誕、公生涯、復活と聖霊降臨の出来事はその完成へと一歩近づいたしるしと受け止めることができた。
主の死を思い、復活をたたえる主日の礼拝は、主が再び来られる時まで続けられていくことになる。
伝統的なキリスト教会が毎週日曜日に礼拝をささげる伝統は、こうしてユダヤの安息日の伝統を継承しながらも、新たな意味付けのもと刷新されていった。
そしてキリスト教徒にとっての民族の神体験ともいえるイエス・キリストの受難、死、復活、聖霊降臨の出来事を自らの体験として心に刻むことができた。
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