信仰と「哲学」67
関係性の哲学~スピノザの哲学に対する見解(1)

神は無限である

神保 房雄

 「信仰と『哲学』」は、神保房雄という一人の男性が信仰を通じて「悩みの哲学」から「希望の哲学」へとたどる、人生の道のりを証しするお話です。同連載は、隔週、月曜日配信予定です。

 これまで本体論や自由についての見解の中で、スピノザの考え方をいくつかご紹介しました。

 スピノザ(1632~1677)はオランダの人です。ユダヤ人街に生まれ、ユダヤ教の教育を受けて成長しました。デカルトの思想などに興味を寄せ、存在、実体、本体などに対する思考を徹底していきました。しかしスピノザはユダヤ教会から破門され、暴漢に襲われるなどの事件にも遭(あ)っています。

 スピノザの神観=本体論とそこから導き出した神との関わり、人間としての生き方、すなわち倫理(エチカ)的結論が、従来のユダヤ教、キリスト教が伝統的に主張してきたことと異なっていることへの批判が背景にあるといわれています。

▲バールーフ・デ・スピノザ(ウィキペディアより)

 数回にわたりスピノザの哲学について批判的説明をしておきたいと思います。
 文鮮明師の思想の理解にとって重要だと考えるからです。

 かつて文鮮明師は、哲学は本体としての「存在」を扱い、宗教は本体との関わりにおける「生命と愛」を扱うと語られたことがあります。

 スピノザは神について、「神とは、絶対に無限なる実有、言い換えれば各々が永遠・無限の本質を表現する無限に多くの属性からなっている実体、と解する」(『エチカ』第一部 神について)と述べています。

 文鮮明師は神について、「神様はいかなる形態ももっていらっしゃいません。大きいといえば、無限大です。小さいといえば、無限に小さい方です」(八大教本『天聖経』、真の神様)と語りました。

 スピノザの哲学は、神は「無限」なる「実体」であるという立場から出発しています。
 文鮮明師もまた、「真の神様」の章における最初の文章が上記の内容になっています。

 まずは無限であることの意味から再考していきましょう。