私の心の中にいる神様 53
子供が幸福なら、それでよい

 良心との対話で、ワクワク感が止まらない!
 真の父母様が、「第二の神様」であると言われた“良心”。自分の心の中にいる神様―良心―と対話(瞑想、祈り)することによって、自己中心的な思いに囚われていたことに気付き、本然の自分を取り戻していくことができます。
 そんな真の父母様のみ言と解説、それに基づいた実践(ワーク)を軸に展開されている自己牧会プログラムの中で多くのかたが感じた体験をお届けします。

子供が幸福なら、それでよい

 昨年、新型コロナウイルス感染拡大を受けて、緊急事態宣言が出されていた時のことです。

 学校が休みになり、小・中学生のわが家の子供たちも終日家にいるので、欲求不満がたまっているようでした。
 一日中ダラダラと過ごし、やるべきことをやっていなかったり、部屋も散らかしっぱなしだったりという状況が続き、ある日の朝、思わずきつく注意してしまいました。

 あとから、一方的に叱ってしまったなと自分を責める思いが湧いてきて、もやもやが消えません。

 バスで職場に向かいながら、「私は今、子供を否定的に見つめています。この思いはどこから来るのでしょうか」と良心に尋ねてみました。

 そうすると、「子供が心配だからだ」と返ってきました。

 「何を心配しているのでしょうか」と尋ねると、「子供の将来のことだ」という答えを感じました。

 私が思わず、「子供の将来を心配するのは、親として当然ですよね」と言おうとした瞬間、「それは子供に任せたらよい。子供が幸福なら、それでよい」という答えが返ってきたのです。

 バスの中でしたが、思わず、「幸福か、幸福か」とつぶやいていました。

 「子供が幸福だったらよい、幸福だったらよい」という思いが心の中を巡りました。
 そして、私はただ子供の幸福を願っていて、注意し責め立てることを望んではいないということが分かったのです。

 その時、前の席で3歳くらいの男の子がお母さんに、「ああでね、こうでね」と一生懸命話をしている姿が目に飛び込んできました。
 その姿があまりにも自然で素直で無心で、思わず笑みがこぼれました。

 私もこのように、ありのまま、心のままに、囚(とら)われなく生きていきたいなと深く感じながら、職場に向かいました。
 いつの間にか、心に光と平安が戻っているのを感じました。

(男性 40代)

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 次回(1月30日)は「家庭に花が咲きました」をお届けします


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