青少年事情と教育を考える 143
主権者に求められるのは「人権」以上に「人格」

ナビゲーター:中田 孝誠

 先月末、「主権者教育」について2回取り上げました。それに付け加えたいと思います。

 主権者教育の在り方を議論する文部科学省の有識者会議(主権者教育推進会議)では、「主権者教育とは、リベラルアーツによる全人格的な教育の上に、個人の利益と公共の利益とのバランスをどうとっていくのか、人間としてどうあるべきかということを、個人個人が考えていくことではないか」「欧米で言うシティズンシップ・エデュケーションでは『義務』についても教えていると思うが、主権者教育を推進していく上で検討すべき」といった意見が出されています。

文部科学省

 シティズンシップ教育はイギリスで必修化されていて、社会的・道徳的責任、コミュニティーへの関与、政治的リテラシーなどを学び、市民として必要な内容と責任を果たせるように育てる教育です。「主権者教育(シティズンシップ教育)」と訳している場合もあります。

 また、シティズンシップ教育で学ぶ「公正、正義、寛容、自由、平等、権利、責任」などと道徳教育で学ぶ「正直、誠実、自律、勇気、奉仕、思いやり」などは、普遍的な価値があります。これらを学ぶことによって、道徳教育の目標である「人格の形成」と、シティズンシップ教育の普遍的な人権と価値を学び身に付けるという目標が達成できるというわけです(教育新聞2020313日「シティズンシップ教育の可能性〈5〉」)。

 首都圏のある小学校では、道徳で主権者教育を実施している事例もあります。
 本来の主権者となるためには、人権を主張するだけでなく、「人格の形成」が求められるということでしょう。