自叙伝書写 感動体験集
第49回 パーキンソン病の母が回復し、家族円満に

(大阪府、49歳 主婦)

 私は、文鮮明先生の自叙伝を感動しながら何度も繰り返し読んだ一人です。ですので、文先生の心を私の心に書き写すという「心の書写」もほどなく始めさせていただきました。

 私は25年前に結婚し、長野から大阪へ来ました。
 当時は、主人の両親も私の実家の両親も、大病を患うこともなく元気でいましたが、2年ほど前から実家の母親の様子が変わってきたのです。

 元々私の母は、5人の子供を自宅で出産するなど、生まれてこのかた病院には縁のない人で、男勝りな野良仕事ぶりで、骨太な、いつも笑顔の絶えない元気印の母親でした。その母が、帰省するたびに、「顔色悪くない?」と感じ始めた頃から見る見るうちに弱り始め、半年後には昔の半分にまで痩せ細って、ほとんど自力では歩けなくなってきたのです。

 パーキンソン病でした。筋肉が固まっていく病気なのですが、顔の表情もボーっとしてきて、ついに寝たきりとなってしまいました。

 高齢ではあるものの、85歳の父と二人きりで野良仕事も頑張ってきた両親には、せめて老後だけでもゆっくり過ごしてほしいと願っていたのに、遠くに嫁いでしまった私には何もしてあげることもできず、情けなく思い悩んでしまいました。

 そんな時に、この「自叙伝心の書写」にすがったのです。遠く離れていて何も助けてあげることができないので、「せめて母の病気が良くなり、介護する父の負担が少しでも減って楽になりますように」と、思いを込めて書写をさせていただく日々が続きました。

 しばらく母の容体は小康状態でしたが、私自身が実際に毎日介護してあげる心で書写を書いていくうちに、自分の心が落ち着き始め、現実を受け入れられるようになってきました。すると、間もなく父から「今度、主治医が変わって、もう一度、精密検査をするので、結果が家族に話される時には帰って来てほしい」と連絡がありました。

 「家族を集めて一体何を言われるのだろう?」

 さまざまな思いが巡り、ドキドキしましたが、父親と兄と一緒に検査結果を聞きに行きました。

 すると、先生は「う~ん。どこも悪いところがないんだよね~・・・」と困ったような一言。
 「では、薬を止めてみましょう。ボーっとしているのも良くなるでしょう」。意外な言葉に、家族3人で顔を見合わせ一瞬キョトンとしてしまいましたが、次の瞬間には本当にうれしくて感謝の思いでいっぱいになりました!

 今では母に笑顔も戻って、話も自由にできるようになり、時にはすねたりもするほどです。ただ、衰えた筋肉の回復は大変難しくてまだ寝たきりですが、一時は会話すらもできなかったことを思うと本当に奇跡のようです。

 日々の心の書写が私の心の支えになってくれていましたし、そればかりか、諦めかけていた母の笑顔が戻っただけでなく、それまで疎遠になりかけていた兄弟5人がそれ以来いろいろと連絡を取り合うようにもなってきたのです。さらに転勤族だった長男がこの4月から実家に戻れるめども付き、両親と同居してくれることになりました。

 何度となく実家に帰る私を温かく見守ってくださる夫や夫の両親をはじめ、家族の絆をさらに深めていただいたこの「自叙伝 心の書写」で、これからもますます精進していきたいと思っています。