私の心の中にいる神様 27
誰にでも輝く良心がある

 良心との対話で、ワクワク感が止まらない!
 真の父母様が、「第二の神様」であると言われた“良心”。自分の心の中にいる神様―良心―と対話(瞑想、祈り)することによって、自己中心的な思いに囚われていたことに気付き、本然の自分を取り戻していくことができます。
 そんな真の父母様のみ言と解説、それに基づいた実践(ワーク)を軸に展開されている自己牧会プログラムの中で多くのかたが感じた体験をお届けします。

誰にでも輝く良心がある

 職場の上司(男性、40代)の暴言に悩んでいました。
 「お前がバカなのは親に学がなく、教養のない家庭で育ったからだ」とか、私の母のことを、事実に反して「(精神的に)病的」と公の場で言われたこともありました。
 自分が誇りに思う両親を悪く言われたことが悲しくて悔しくて、行き場のない苦しさを感じていました。

 「神の祝福を願う祈り」のワークをしながら、その上司の幸せを祈って光(神の愛)を送ろうとするのですが、上司のことを考えるだけで気持ちがずーんと沈み、祈ることができませんでした。

 教会スタッフのかたから、「その人のために祈ることが難しければ、もう少し葛藤の小さな人のために祈ることから始めたらいい」とのアドバイスをもらい、実践してみました。すると不思議に、上司に対しても少しずつですが光を送れるようになりました。

 こうして数日の間、光を送っていたところ、突然その上司から私を含む数人が、「今度の休日、一緒に食事をしよう」との誘いを受けたのです。私は一瞬、「また何か傷つくことを言われたらどうしよう」と躊躇してしまいました。

 「自覚を取り戻す」ワークをしながら、意識を「今ここ」に戻していくと、「まだ起こってもいないことを恐れ、心配してもしょうがない」という気持ちになりました。
 そこで、その上司の誘いを受けることにしました。そして、「最初から最後まで真の愛を中心として上司を見つめ、接することができますように」と祈りながら、約束の日まで過ごしました。

 その日、上司はなぜかとても上機嫌でした。相変わらず、こちらが傷つくような過激な発言もあったのですが、その言葉がスポッスポッと私をよけていくような感じで、全然ダメージを受けないのです。それどころか私は、会話を楽しんでさえいました。

 帰りの方向が上司と同じだったので、電車では上司と2人になりました。そこで上司の親友の話になった時、上司が感極まって目頭を押さえる場面があったのです。
 私はそんな上司の姿に驚きながら、「この人にも、人を大切に思う良心があったんだ」と大発見をしたような気持ちになりました。

 「誰にでも輝く良心がある」というのは当たり前のことなのですが、それを感じることができないくらいに、私は上司に対して壁をつくっていたのです。
 そのことが分かると、もううれしくてうれしくて、帰り道、神様に「この人の良心を見せてくださってありがとうございます」と、感謝のお祈りをしました。

 今後も葛藤することはあるでしょうが、常に心の目で相手を見て、良心を信じて向き合うことを心掛けていきたいと思いました。

(女性 20代)

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 次回(8月1日)は、「自分の“上から目線”が問題だった」をお届けします。


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