私の心の中にいる神様 28
自分の“上から目線”が問題だった

 良心との対話で、ワクワク感が止まらない!
 真の父母様が、「第二の神様」であると言われた“良心”。自分の心の中にいる神様―良心―と対話(瞑想、祈り)することによって、自己中心的な思いに囚われていたことに気付き、本然の自分を取り戻していくことができます。
 そんな真の父母様のみ言と解説、それに基づいた実践(ワーク)を軸に展開されている自己牧会プログラムの中で多くのかたが感じた体験をお届けします。

自分の“上から目線”が問題だった

 私は教会で、いろいろな人の相談を受ける立場にいます。
 ある平日、夜8時に、やや遠方にあるお宅に伺って、そこのご主人と話をすることになりました。

 電車とバスを乗り継いで、約束どおり午後8時に行きました。ところが8時半になって「遅れます」と連絡があり、その8時半になったら、今度は「きょうはお会いできません」と言ってきたのです。

 そこで「心の目で見る」ワークができればよかったのですが、全く心の余裕がありませんでした。「そもそも無理なことは分かっていたのではないか。なぜもっと早く連絡をくれないのか。こちらも忙しい時間をやりくりして来たのに」と、相手を責める思いでいっぱいになってしまったのです。

 家に帰って夫にその思いをぶつけました。私は「自分が正しくて相手が間違っている」と自信満々でした。

 ところが夫は、「男性は仕事で手がふさがっていると、返事すらできないこともあるんだよ」と言うのです。
 「そういうものかな」と半信半疑のまま、次の日は夜9時半に約束しました。「今度は絶対に会う」と半分、意地でした。

 その夜、ようやく会えたご主人が、「昨日は、帰ろうと思ったら突然、上司の話が始まって、メールを短く打つしかなくて、満足に連絡もできなかったんです」と申し訳なさそうに説明されました。夫が話してくれたままの事情だったのです。
 そんなこととはつゆ知らず、妄想に囚(とら)われて一方的に責める気持ちになっていたことを、私は深く反省しました。

 私は遅ればせながら、「心の目で見る」ワークに取り組み、「真の愛を中心として正しく見させてください」と唱えながら、どうして一方的に相手を責めてしまったのかと、良心に尋ねてみました。
 すると、「この人が抱える問題を私が解決してあげよう」という、上から目線の傲慢な気持ちが心の根底にあったことに気付かされたのです。

 「自己牧会プログラム」では、「嫌な気持ちが湧いてきたときは、捨てるべき固定観念があることを良心が教えてくれている」と説いていますが、本当にそのとおりだと思いました。思いどおりにならないときこそ、深い気付きがあることを実感しています。

(女性 50代)

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 次回(8月8日)は、「息子に働く神様に導かれる」をお届けします。


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