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氏族伝道の心理学 7
不安と怒りの構造

 光言社書籍シリーズで好評だった『氏族伝道の心理学』を再配信でお届けします。
 臨床心理士の大知勇治氏が、心理学の観点から氏族伝道を解き明かします。

大知 勇治・著

(光言社・刊『成約時代の牧会カウンセリング 氏族伝道の心理学』より)

第1章 不安と怒り

不安と怒りの構造
 では、自らのうちにある不安と怒りに対して、どのように対処していけばいいのでしょうか。

 対処への第一歩は、不安や怒りの構造を理解することです。

 多くの人は、不安や怒りの原因が、環境や他者にあると思っています。つまり、借金があるから不安だとか、あの人があんなことを言うから腹が立つというように、自分に原因があるのではなく、何かがあるから不安になったり怒ったりするのだと思っているのです。しかし、これは大きな誤りです。結論から言えば、不安や怒りの原因は、私の中にあるのです。

 まずは、不安について考えてみましょう。具体的な例を挙げて説明します。

 先日、「不安で夜眠れなくなり、病院に行ったら鬱と診断された」と言う方がいらっしゃいました。その方は、借金のことが不安で、借金のことを考えると夜眠れなくなると言います。その方は、借金があるから不安だ、その借金を免除してくれるか、誰かが代わりに払ってくれて、借金がなくなれば、不安はなくなり、夜ぐっすり眠られるようになると考えています。でも本当にそうなのでしょうか。

 借金があっても、不安にならず、夜ぐっすり寝ている人はたくさんいます。先に述べたように、客観的に見て、合理的に解決していけばよいのです。今いくら借金があるのか、その返済を少しでも減らすにはどうしたらよいのか、考えて行動すればよいのです。借り換えローンとかおまとめローンを使って、少しでも返済を減らすよう工夫できるでしょうし、収入が足りなければ、通常の仕事の他に、アルバイトを一つ増やして返済のためのお金を作ることもできるでしょう。また、どうしても返済が難しい時には、民事的な手続きを取り、支払い期間の繰り延べなどの方法を取ることもできます。そのような様々な手段を使って、夜はぐっすり眠ればいいのです。

 また、「子供が自閉性障害と診断されました。うちの子は将来どうなるのでしょうか。この子の将来を考えると不安になり、いっそ心中をしようかとも考えてしまいます」と訴えるお母さんもいらっしゃいました。このお母さんにとっては、子供が自閉症だから不安だと思っています。ですから、診断を受けた病院で「申し訳ありません。誤診でした。自閉性障害ではありません」と言ってもらうか、自閉性障害が治る薬が開発されるなりして、自閉性障害が治れば、将来の不安もなくなり、心中も考えなくなると思っています。

 確かに、子供が障害を抱えていれば、その親は不安になるだろうということは想像に難くありません。でも、障害をもつ子供の親がみな、子供との心中を考えているわけではありません。やはり、客観的に見て、合理的に行動すればよいのです。自閉性障害はどういうものなのかを調べ、家庭でどのような関わりをしていけばよいのか、どんな学校に通わせ、どのような療育を受けさせればよいのかを知って、そのように対応していけばよいのです。また将来が不安ならば、同じ程度の自閉性障害の人たちが、大人になってから、どのような生活をしているのかを調べ、そうした生活に向けて準備を進めていけばいいのです。心中を考える必要はありません。

 私の知り合いは、子供に障害があることがわかってから、いろいろと調べました。その結果、家族が住んでいる地域に、その子が将来生活をするのに適当な施設がない、ということがわかりました。両親は、それならば、自分たちで施設を造ろうと考え、実際に施設を造ってしまいました。その両親の話を聞けば、「この子が障害をもって生まれてきてくれたおかげで、自分たちが気づかなかった大切なことを知ることができましたし、地域に素晴らしい仲間を得ることができました。この子の障害のおかげで、私たちは幸せな人生が送れています」とおっしゃいます。

 この二つの例を見てもわかるように、何かがあるから不安になるのではなく、私たちの心の中にある不安の種が何かと結びついて不安になってしまうのです。

 逆の例を挙げれば、もっとわかりやすいかもしれません。全般性不安障害という病気があります。以前私がカウンセリングしていたクライアント(相談者)で、この全般性不安障害を抱えている方がいらっしゃいました。彼は、ちょっとしたことで不安になります。ある日の面接でも、面接室に入る時から不安そうな顔をしていました。「また何か、不安になることがあったのですか?」と尋ねると、「わかりますか? 実は、宝くじが当たったのです」と、答えられました。なぜ宝くじが当たって不安になったかを聞くと、彼は、「宝くじが当たったのは良いことなのですが、良いことが起こったから、代わりに何か悪いことが起こるのではないかという思いが浮かんできてしまい、不安になりました」と言うのです。

 「宝くじが当たって不安になるなんてばかばかしい」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。そのとおりです。不安の本質をわかりやすく示していると思います。「借金」も「子供に障害がある」のも「宝くじが当たる」のも、全部同じなのです。自分自身の中にある不安が結びつくと、何でも不安になってしまうのです。不安というのは、状況が問題ではなく、私の中にある心の問題であるということがわかっていただけるかと思います。

 怒りも同様です。通常、私たちは、相手が悪いから怒ると思っています。自分が悪いのではなく、相手のせいでこのようになってしまった、だから腹が立つと言います。それは本当でしょうか。

 怒りっぽいと言われる人がいます。そうした人は何かにつけて、すぐに腹を立てます。新聞を読んでは、「首相は、なんて身勝手なんだ」とか、「政府は、いつも金持ちの味方だ」と言って怒っています。道を歩いていて、落ちているものにつまずいたりすると、「誰だ、道の真ん中に、こんな物を落としたままにしているやつは!」と言って怒ります。一方、気持ちが穏やかで気長な人は、同じ状況でも怒りません。新聞の記事を読んでも、「希望が見えない世の中になってしまった」と嘆くことはしても、怒ることはしません。道に落ちているものにつまずいても、「こんなところに落ちていると危ないなぁ」と言って、道の脇に片付けます。別に怒ったりしません。

 このように、同じ状況でも、怒る人と怒らない人がいます。こうしたこと一つを考えてみても、相手が悪いから怒るのではなく、自分の中に怒りがあることがわかります。しかし、多くの場合、怒りを相手のせいにします。相手が悪いから怒るのだと思っています。

 なぜでしょうか。それは、怒りは、堕落により破壊衝動となってしまった、均衡を失った気持ちの状態であり、堕落性そのものではないとしても、堕落性を多く含む否定的な環境に影響されて、それが増幅されやすいからです。なので、責任転嫁します。破壊衝動をもっているのは自分なのに、自己正当化し、自分の怒りを相手の責任にするのです。

 「でも、相手が悪い場合もあるでしょう」と言う方もいます。そのとおりかもしれません。相手が悪く、あなたが被害者なのかもしれません。しかし、それでも怒ってはいけないのです。怒っても、物事は解決しません。かえって、怒りの連鎖が広がるだけです。堕落以来、そのようして怒りの連鎖(破壊の連鎖)が広がってきました。「相手が悪いから、私は怒るのだ」と叫んで……。そして、悲惨な地上地獄が広がっていったのです。

 では、相手が悪い時は、どうしたらいいのでしょうか。

 客観的に見て、合理的に行動していけばいいのです。なぜ、こんなことになっているのか、ということを。子供が勉強をしないとき、怒る前に冷静に考えてみてください。勉強しない理由は、勉強が難しくて、ついていけなくなっているからかもしれません。あるいは学校の先生とうまくいかなくて、勉強をする意欲をなくしているのかもしれません。もしそうだとしたら、勉強を丁寧に教えてあげるとか、子供と学校の先生の間に入って調整するということが必要になります。怒る必要はありません。

 ある講演でこうした怒りの話をしたときに、「殺されても怒ってはいけないのですか?」という質問を受けたことがあります。答えは、「殺されても怒ってはいけません」ということです。そのように、殺されても怒らなかった方が、イエス様です。

 私は、以前、「パッション」(2004年、メル・ギブソン監督)という映画を見ました。世界中で話題になった映画です。ゲツセマネの祈りから、十字架にかかって復活するまでの『聖書』の記録を再現したものです。イエス様は、弟子に裏切られ、中傷罵倒され、不当な裁判にかけられ、むち打たれ、嘲笑され、最後は十字架で亡くなられますが、その間、イエス様は一度も怒りませんでした。殺されても、怒りませんでした。ただ、赦(ゆる)されました。だから、霊的な救いの道が開かれたのです。あの時、イエス様が、弟子たちに向かって、群集に向かって、偽証する者に向かって、もし怒りを発したならば、イエス様は霊的な救いの道を開けなかったかもしれません……。

 ですから相手が悪いときでも、怒ることなく、客観的に物事を見つめ、合理的に対応していくことが大切です。それが問題解決の最善の方法です。

 話が大きく広がってしまいましたが、不安と怒りの構造について、理解していただけたのではないかと思います。心の問題や心の病は、この怒りと不安が引き起こしていること。そして、この怒りと不安は自分自身の中にあるということを理解していただければと思います。

 ちなみに付け加えると、不安が大きくなると、「恐怖」になります。恐怖は、怒りには変わりません。恐怖は、「パニック」を引き起こします。恐怖がさらに大きくなると、「絶望」に変わります。キルケゴールは絶望を、「死に至る病」と言いました。ただ、無気力になって悪い状況を受け入れていくのみとなります。

 では、私たちは、不安と怒りをどのように克服していけばよいのでしょうか。不安と怒りを克服していくためには、なぜ私たちは、不安や怒りといった心の状況に陥ってしまうのかを知る必要があります。

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 次回は「自己評価と自尊感情」をお届けします。


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