私の心の中にいる神様 20
嫌で仕方なかった自己牧会プログラム

 良心との対話で、ワクワク感が止まらない!
 真の父母様が、「第二の神様」であると言われた“良心”。自分の心の中にいる神様―良心―と対話(瞑想、祈り)することによって、自己中心的な思いに囚われていたことに気付き、本然の自分を取り戻していくことができます。
 そんな真の父母様のみ言と解説、それに基づいた実践(ワーク)を軸に展開されている自己牧会プログラムの中で多くのかたが感じた体験をお届けします。

嫌で仕方なかった自己牧会プログラム

 私はみ言を聞いてから14年の間、ずっと天の父母様を遠くに感じていました。

 人間関係で傷ついた過去があり、人と会うのが恐くて伝道活動はできない、皆と会うのは苦しくて嫌、誰とも話したくないと思っていました。

 いつしか私は笑わなくなり、もう教会をやめさせてほしいと思うこともありました。それでも教会を離れることができなかったのは、「罰が当たる」という思いからでした。 

 そんな私の心のよりどころは、楽しいこと、うれしいことを考えながら、空想や妄想の世界に浸ることでした。
 教会のスタッフからは、「空想や妄想の世界に入り込まず、今を生きてほしい」と指導されるのですが、これをなくしては、本当の自分ではなくなってしまうと、かたくなに拒んでいました。

 2017年、教会で「自己牧会プログラム」の取り組みが始まりましたが、私はそれが嫌で仕方ありませんでした。なぜなら、自分自身と向き合わなければならないからです。私の中でふたをしてくぎを打ち、コンクリートで固めて奥に押し込めた思いを開けることが苦しかったのです。

 「私には良心がない。良心がないのでやってもムダ」ということを証明しようと、携帯電話やパソコンでオンラインの心理テストを受けるのですが、どのテストも「異常なし、あなたは正常」という診断でした。

 やがて、婦人部の皆が「自己牧会プログラム」を通して美しく輝くようになりました。それがまぶしくて、「ここにいられない」と思いました。
 しかしその一方で、うらやましいとも感じたのです。それで、義務感・使命感からではありましたが、私も「自己牧会プログラム」のワーク(祈り)に取り組むようになりました。

 初めて「私心をなくす」ワークを教えていただき、導きに従ってワークをしていた時のことです。

 「椅子に座って礼拝を聞いている私も、本当の自分とは何の関係もありません」という導きの言葉に、「え? ここにいる私は何?」と驚きました。アニメで、ロボットが壊れてシュルシュルシュルと煙を出しているみたいに、私の頭も煙を出し、「思考停止」「思考停止」と言っていました。

 その後、2回目のワークで、自分の頭を占領していた思考がドサーッと一気に落ちたのを感じました。分厚い壁が崩れ、心がすっきりしました。
 それからは、婦人部の皆と会いたい、教会に行きたい、皆は魂の家族だと心の底から思えるようになったのです。婦人部の皆からは、「笑顔が戻ったね」と言われました。

 ワークを実践し続けると、良心が発動しやすくなると感じます。良心との対話が根づくと、落ち込まなくなりました。自分の思いどおりにしようと、あれこれと手段や方法を考えることもなくなり、思考のぐるぐるにはまらなくなりました。
 そして、あんなに恐がっていた伝道活動にも挑戦するようになりました。親孝行したい、伝道できることがうれしい、楽しいというふうに気持ちが変化したのです。結果も委ねることができ、「なるようになる」と、いい意味で開き直ることができています。

 「自己牧会プログラム」に出合って、すごく救われました。人生の大転換です。私は今、幸福です。

(女性 40代)

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 次回は、「夫は本当はいい人だった」をお届けします。


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