私の心の中にいる神様 19
思いどおりでなくても大丈夫!

(2018年11月に開催された第22回「中和文化祭東日本大会」でのスピーチより)

 良心との対話で、ワクワク感が止まらない!
 真の父母様が、「第二の神様」であると言われた“良心”。自分の心の中にいる神様―良心―と対話(瞑想、祈り)することによって、自己中心的な思いに囚われていたことに気付き、本然の自分を取り戻していくことができます。
 そんな真の父母様のみ言と解説、それに基づいた実践(ワーク)を軸に展開されている自己牧会プログラムの中で多くのかたが感じた体験をお届けします。

思いどおりでなくても大丈夫!

◆本当の世界を見ていますか?

 皆さんは、囚(とら)われています。
 囚われとは、あるものに拘束されている状態をいいます。

 人間は一日に6万以上のことを考え、そのうちの95パーセントは昨日と同じ内容だといいます。さらにそのうちの8割はネガティブなことを考えているそうです。つまり私たちは、ネガティブな思考に囚われ続けているのです。

 こんな状態で果たして、環境や現象を正しく見ることができるでしょうか? 私たちが見えている世界は、本当の世界なのでしょうか?

◆期待はずれの毎日

 高校1年の春、始まったばかりの高校生活は、期待はずれの毎日でした。授業中、騒ぎ出す男子、それを見て笑っている女子。みんなの良いところを見つけたいとは思っているものの、悪いところばかりが目に入り、どうすればよいのかずっと悩んでいました。

 ある日、体育の時間に、私の大好きなバスケがありました。
 「せめてこの時間だけでも、何も考えずに楽しくやろう!」
 試合が始まった瞬間、少しワクワクしました。でもその思いはあっという間に消えていきました。

 「何これ? 誰も走らない、誰もボールを取らない、こんなのバスケじゃない!」
 さらに追い打ちをかけるように、「バスケって性格出るよね、周りを気にしないで一人で走っている奴もいるし」という先生からの冷たい一言。

 私の中から全ての力が抜け落ちていきました。
 「みんなのいいところなんて見つけられない、もういいや……」
 私はその日から、皆を好きになる努力をやめました。

◆良心?

 でも、心に喜びのない毎日は、すごくつらいものでした。そこで母に相談すると、返ってきたのは、「良心に聞いてみたら?」という言葉でした。

 良心?

 全く心に響きませんでした。ところが、礼拝で語られるのは良心のことばかり。
 「どうやって目に見えない良心の声を聞くことができるの? 今まで、ちゃんとした答えが返ってきたことなんてなかったのに!
 でも、これしかないのか……。じゃ、やろう」

 私はその日から教えられたとおりの方法で、良心の声を一生懸命探し始めました。
 毎日の登下校時や寝る前に、自分のイライラや不安に向かって、「思いどおりでなくても大丈夫」と何度も心の中で唱え続けました。

 1カ月がたち、2カ月がたち、いつの間にか半年がたっていました。
 私は一度決めたらやり抜きたい性格です。だから、「いつか良心の声が聞こえてくるはず! いつかこの環境も変わっていくはず!」と信じて、どんなことがあっても足を止めずに走り続けてきました。
 でも結局、良心からの答えは返ってくることなく、ついに私の足はピタリと止まってしまいました。

 「もう、ダメかもしれない……」

◆無意識に自分が正しいと思っていた

 でもある日突然、良心は人を通して私に語り掛けてくれたのです。
 「中学の時は、人や環境のことを疑ったり、否定的に見たりしていなかったんじゃない?」

 はっとさせられました。確かに私は最初から否定的で、無意識のうちに自分が正しいと常に思っていました。

 「授業は静かに受けるべきだ、だからうるさい男子は間違ってる!」
 「バスケは汗を流して楽しむものだ、だから走らないのはおかしい!」
 私が見ること、私が考えること、その全ては囚われていて、それが私を苦しめていたのです。

 このことに気付いた時、雷に打たれたような衝撃を受け、なぜか心がすっきりしました。

◆環境を変えるためではなく、状況を受け入れるために

 今までは環境を変えるためにやっていましたが、その日からは自分を変えるためにやり始めました。

 学校で友達から言われた一言にイラッとした時、「思いどおりでなくても大丈夫」と唱える。
 私はあの子に嫌われているんじゃないかと思った時、「これは私の妄想だ!」と唱える。

 こんなふうに、自分の中の囚われに気付いては、そんな自分を許しながら、今ある状況を受け入れることを続けていきました。
 すると、今まで一番憂鬱(ゆううつ)だったはずの学校までの道のりで、道端にある花や、木や、風景をいつの間にか楽しんでいる自分に気が付きました。

◆あの子ってこんなにいい子だったっけ?

 学校でも、友達に対して感じていた疑いや見下しの思いがいつの間にか消えていて、今まで感じることのなかった相手への感謝の思い、信頼したい思いが、自然と心から溢れ出てきました。
 そして、そのような思いで相手に接すると、相手からも同じように言葉や態度で返ってくるようになったのです。

 「え? あの子ってこんなにいい子だったっけ? このクラスって、こんなに楽しかったっけ?」

 同じ場所、同じ環境なのに、見え方や感じ方が全く変わってきました。
 「こんなに心がワクワクしたのは、何カ月ぶりだろう?」

 私の中の囚われが消えていくと、目に映る一つ一つがキラキラと、まるで宝石のように輝いて、心から溢れる喜びを、体全身で感じるようになったのです。

◆幸福は環境で決まるのではなく、私の心で決まる

 囚われを捨てて、良心を選択することで、本当の世界が見えてきます。
 私は今まで、「自分の思い描いたとおりの環境でないと幸福になんてなれない」と思い込んでいました。

 皆さんもそう思い込んでいませんか?

 でも違うんです。私の幸福は、環境で決まるのではなく、私の心で決まるのです。
 皆さんも、本当の世界を見てみたいですよね? ぜひ、この言葉を唱えることから初めてみてください。

 「思いどおりでなくても大丈夫!」

10代 女性)

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 次回は、「嫌で仕方なかった自己牧会プログラム」をお届けします。


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