私の心の中にいる神様 18
私の人生は愛にあふれている

 良心との対話で、ワクワク感が止まらない!
 真の父母様が、「第二の神様」であると言われた“良心”。自分の心の中にいる神様―良心―と対話(瞑想、祈り)することによって、自己中心的な思いに囚われていたことに気付き、本然の自分を取り戻していくことができます。
 そんな真の父母様のみ言と解説、それに基づいた実践(ワーク)を軸に展開されている自己牧会プログラムの中で多くのかたが感じた体験をお届けします。

私の人生は愛にあふれている

 私の父母は公職者(教会の職員)で、いつもみ旨で忙しくて、一緒に過ごす時間はあまりありませんでした。私はいつしか父母に対して、「私が人生においていろいろと失敗してきたのは、父母が私に投入してくれなかったせいだ」と思うようになりました。

 特に母との間には深い溝ができていました。私は母の発した〝冷たい〟〝ひどい〟と感じた言葉を、いつ、どんなシチュエーションで言われたかまで記憶していて、み言で「怨讐」と出てくれば母を思い出す、という状態でした。

 そんな私でしたが、「自己牧会プログラム」に出合って自分を見つめ直すことができ、み言を学んで、二世祝福を受けるに至りました。

 家庭を出発し、やがて妊娠しました。母に知らせると、「公務を休んで、あなたのそばにいるから」と言ってくれたので、里帰り出産をすることに決めました。けれど蓋を開けてみれば、相変わらず母はあちこち出かけ、み旨に奔走する毎日でした。

 私ももちろんみ旨は大事だと分かっていますが、それでも、「臨月の私がいるのに、み旨だからといって何をしても許されるのか?」「み旨であれば、夕食を作らなくてもいいのか?」という思いを抑えきれませんでした。

 無事に出産を終え、引き続き実家で過ごしていたある日のことです。母がトイレに入ったまま、なかなか出てこないのです。声を掛けると、意識はあるものの、動けなくなっているようでした。

 普通の娘なら心配でパニックになると思うのですが、その時の私には何の情の起伏もありませんでした。ただ、「私は今、赤ちゃんがいるから何もできない。これは救急車を呼ぶべきだ」と冷静に判断していたのです。

 やがて救急車が来て、母は運ばれていきました。
 自分には母親への情がない……。そのことに衝撃を感じながらも、一方では「それは母との心情関係が薄かったからだ」と自分に言い聞かせていました。

 10日ほどして母は無事に退院しましたが、母に対するぎこちなさが消えることはありませんでした。
 そんな状態のまま、一人静かにソファに座って「自覚を取り戻す」ワークに取り組んでいた時のことです。

 このワークは、何か自分本位の考えに囚(とら)われていることに気付いたら、「ああ、囚われている」と自覚を取り戻し、自覚をもって目の前のあらゆる現象を見、聞き、感じ、良心の声に耳を傾けながら、「今この瞬間は何の不安も恐れもない、自由・平和・統一・幸福の世界である」とイメージしていくというものです。

 私は、意識を「今ここ」に戻しながら、実家の周りの自然の一つ一つに思いをはせていきました。実家は海が近く、緑が豊かです。ソファに身を預けて、波の音を聞きながら、窓から見える5月の新緑、真っ青な空、キラキラ光る海、そして無事に生まれてくれた赤ちゃんと、一つ一つその美しさ、ありがたさをかみしめていきました。
 すると急に、「神様から愛されている」という思いが実感として迫ってきたのです。

 そのとき、不思議な体験をしました。
 「お前は幸福だよ。親がそばにいなかったときも、お前は不幸ではなかった」という良心の声が聞こえてきたのです。
 その瞬間、母へのわだかまりがさーっと解けていくのが分かりました。母を許せなかったことがどうでもよくなり、「いついつ、こういうひどいことを言われた」という記憶も、取るに足りないことのように思えました。

 例えば、ただそこに木が立っているように、親はただ忙しかっただけだったのです。それを不幸だと決めたのは自分であり、全てを親のせいにして自分を正当化していただけだったと分かったのです。

 その後も母は公務で多忙でしたが、不思議なことに、それを見てもイライラする気持ちが湧いてこなくなりました。「どうぞどうぞ、行ってらっしゃい」と母を自然に送り出すことができるようになったのです。

 今はっきり言えるのは、私の人生は、生まれたときから今に至るまで愛に溢れていたということです。このことを「自己牧会プログラム」が気付かせてくれたのです。

(女性 30代)

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 次回は、「思いどおりでなくても大丈夫!」をお届けします。


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