私の心の中にいる神様 21
夫は本当はいい人だった

 良心との対話で、ワクワク感が止まらない!
 真の父母様が、「第二の神様」であると言われた“良心”。自分の心の中にいる神様―良心―と対話(瞑想、祈り)することによって、自己中心的な思いに囚われていたことに気付き、本然の自分を取り戻していくことができます。
 そんな真の父母様のみ言と解説、それに基づいた実践(ワーク)を軸に展開されている自己牧会プログラムの中で多くのかたが感じた体験をお届けします。

夫は本当はいい人だった

 私は伝道されて15年になります。この間、夫との既成祝福にチャレンジしては、撃沈するということを繰り返してきました。そのたびに私は夫を責め、夫を説得できない自分を責めてきました。

 後輩の婦人が祝福を受けるのを見ると、お祝いの気持ちよりも愛の減少感のほうが大きく、そんな自分にまた落ち込みました。

 「どうせ、私は死んでから祝福を受けるしかないんだ」という諦めの気持ちになり、伝道された当初のワクワクするような喜びはなくなっていました。
 教会に行っても「祝福、祝福」と追い詰められている感じがして、いつしか教会は私にとって苦しく安らぎのない場所になっていたのです。

 そういう中、「自己牧会プログラム」に出合いました。夫伝道に苦労している私に、教会のスタッフのかたが、同プログラムの「私心をなくす」ワークを勧めてくださいました。

 このワークは、自分本意の考えや思いを、「これは本当の自分とは何の関係もない」と言いながら、一つ一つ手放していくというものです。

 夫はいつも私のすることを否定する。教会に行くことも、韓国に行くことも反対する。いくら祝福を受けてと頼んでも聞いてくれない──。

 私は、次々に湧いてくる、夫に対する裁きの思い、また否定されるのではないかという不安や恐怖を一つ一つ下ろしながら、「こう思うのは本当の私ではありません。この思いは、本当の私とは何の関係もありません。本当の私は、夫を愛して、一つになりたいんです」と唱えていきました。

 最初は、下ろしても下ろしても、次から次に夫への不満が湧いてきました。それでも諦めずに続けていたら、少しずつ夫を否定するものがなくなっていったのです。

 すると不思議なことに、夫に対する見方が変わってきました。
 「あの時、韓国行きを反対したのは、私の体調を気遣ってくれたからではないか」
 「あの時、礼拝に行かせてくれなかったのは、本当は私と一緒に休日を過ごしたかったからではないか」
 私に夫を否定する気持ちがなくなったら、夫のありのままの姿が見えてきたのだと思います。

 振り返ってみれば、いつの時も、決して夫は私を責めていませんでした。それは私の思い込みでした。私が勝手に夫を責めていたから、その波動を感じて、夫は機嫌が悪くなっていただけだったのです。全ては私がつくり出していたのです。私が変わったから夫が変わったのではなく、夫はもともといい人、優しい人で、私を愛してくれていたのです。

 そのことに気付いた時、私は心の底から夫と祝福を受けたいと思うようになりました。その気持を持ってもう一度、夫に祝福を受けてほしいと頼んでみたところ、奇跡的に承諾してくれたのです。

(女性 60代)

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 次回は、「私はエキサイトしている」をお届けします。


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