夫婦愛を育む 110
あなたの人生の中に私がいて、私の人生の中にあなたがいる

ナビゲーター:橘 幸世

 大切な人が自分のことを忘れてしまったら、どんな気持ちになるでしょう?
 最近、そんな事例を実録やドラマなどで見る機会がありました。

 認知症となった母親は、息子の顔を見ても、息子から言葉を掛けられても、懐かしい思い出の写真や品を見せられても、何の反応もしません。息子は胸がつぶれる思いです。

 コミュニケーションが取れない、思いを分かち合うことができない、母の世界に自分が存在しなくなってしまったのか、と悲しくてたまりません。

 ニュース番組の後に始まったNHKドラマ「ゴールド」に引き付けられてそのまま見ました(新聞のテレビ欄では関心を持ちませんでした)。

 二組の高齢夫婦が登場し、どちらも夫が妻をかいがいしく世話しています。主人公は認知症の妻を、主人公の知人は足の悪い妻を。ゴールドの免許証を意味するタイトルが示すように、高齢ドライバーの実情を取り上げていますが、深いところでは夫たちの妻への思いが描かれていました。

 知人男性は、自分が妻を助けなければと頑張ってきましたが、事故をきっかけに、自分こそが妻を必要としていた、と気付きます。

 結婚以来約半世紀の日々を共にしてきた妻、その妻に何かあったら、と恐怖に襲われたのでした。彼女は、彼の人生の欠くことのできない一部であったのです。「いてくれるだけでいい」と思える存在なのかもしれません。

 主人公の妻は、認知症で夫のことも分からなくなっていて、面倒を見てくれる夫を「ヘルパーさん」と呼びます。「お前の人生には、もう俺は存在しないのか?」と、夫は悲しそうに妻の顔をのぞき込みます。

 やがて、妻には結婚当初の夫の記憶が残っていることが分かります。彼女が当時の二人の愛情の世界で生きていることに、主人公は大きく慰められるのでした。彼女の人生の中に、今も自分が存在していることが分かったのです。

 このドラマを見て感慨にふけっていた時に浮かんだ言葉が、今回のタイトルです。
 共に生きるということは、互いが相手の人生の一部になることかもしれません。

 男女は神の二性性相が分立して実体化した存在である、と創造原理で説かれています。完成した夫婦は、霊界では一つに溶け合ったり分かれたりが自由にできるともいわれています。

 「地上生活で心が溶け合わないと霊界で溶け合えないでしょう? まだまだ霊界に行けませんね」と講座などで語ってきましたが、互いに、かけがえのない存在と感じているのは、霊的に見れば既に多少なりとも混じり合っているのかもしれません。