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統一原理127のポイント 50
イエスの十字架の死が神の願われたものではないことを、四つの観点から説明してください

 アプリで読む光言社書籍シリーズ第8弾、『統一原理127のポイント~百日修練会の試験問題と模範解答から』を毎週日曜日配信(予定)でお届けしています。

(光言社・刊『統一原理127のポイント~百日修練会の試験問題と模範解答から』より)

第四章 メシヤの降臨とその再臨の目的
49 イエスの十字架の死が神の願われたものではないことを、四つの観点から説明してください。(『原理講論』、172〜175ページ)

[信徒たちの言行を中心として]
 最初の殉教者ステパノは、イエスの死を恨めしく思い、悲憤慷慨(こうがい)しました。イエスを十字架につけたユダヤ人たちの無知と不信とに憤慨して、その悪逆無道な行為を呪ったのです。このことから、イエスは穏当でない死を遂げたことが推測できます。

[神の摂理から見て]
 神は、アブラハムの子孫からイスラエル選民を召命し、彼らを保護し、育成し、苦難と試練を通し導かれました。また、多くの預言者を通し、メシヤを送ることを約束し、幕屋と神殿を建てさせることによって、メシヤを迎える準備をされ、東方の博士、羊飼い、シメオン、アンナ、洗礼ヨハネを遣わして、メシヤの誕生と彼の顕現を広く証されました。これらは全て、イスラエル人がイエスをメシヤとして信ずるようにさせるためでした。したがって、イエスの死は、イスラエル人のみ旨に対する反逆と、イエスへの不信の結果であったのです。

[イエス自身の言行から見て]
 ヨハネ福音書六章二九節、「神がつかわされた者を信じることが、神のわざである」。

 ルカ福音書一九章四四節、「それは、おまえが神のおとずれの時を知らないでいたからである」。

 ヨハネ福音書五章三九節、「この聖書は、わたしについてあかしをするものである」。

 ヨハネ福音書五章四六節、「モーセは、わたしについて書いたのである」。

 マタイ福音書二三章三七節、「ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、……おまえたちは応じようともしなかった」。

 マタイ福音書二六章三九節、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください」。

 これらの言葉は、人間が堕落して以後、神が苦労して成し遂げようとされた地上天国が、ユダヤ人の不信によって成就されず、苦難の歴史がそのまま延長されるということをイエスがよく知っておられたことを示しています。

[歴史的な事実より]
 十字架以降、ユダヤ人たちは選民の資格を失い、支離滅裂となって、今日に至るまで民族的な虐待を受けてきました。またイエス以後、数多くの信徒たちが経験してきた十字架の苦難も、イエスを殺害した連帯的犯罪に対する処罰であったのです。

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 次回は、「イエスのゲツセマネの祈りを引用し、イエスがなぜそのように祈らなければならなかったか、その心情を説明してください」をお届けします。