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統一原理127のポイント 49
イエスの降臨の目的は何か、また、十字架の贖罪により救いの摂理は完成されたのか説明してください

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(光言社・刊『統一原理127のポイント~百日修練会の試験問題と模範解答から』より)

第四章 メシヤの降臨とその再臨の目的
48 イエスの降臨の目的は何か、また、十字架の贖罪により救いの摂理は完成されたのか説明してください。(『原理講論』、172〜175ページ)

 イエスがメシヤとして降臨された目的は、堕落人間を完全に救おうとするところにあるので、結局、復帰摂理の目的を成就なさるためでした。ゆえに、イエスは天国を完成しなければならず、したがって地上天国を先に実現なさるはずだったのです。

 創造目的を完成した人間に復帰された完全な人間とは、①神と一体となり、その心情を体恤するようになり、神と一体不可分の生活をするようになります。②原罪がないので再び贖罪する必要がなく、救い主が不必要となります。③悔い改めの祈祷や、信仰の生活も必要ありません。④原罪のない善の子女を生み殖やす存在です。

 それでは、イエスの十字架の贖罪により、救いの摂理は完成されたのでしょうか。人類歴史始まって以来、いかに誠実な信仰の篤い信徒であっても、①神と一体化し、不可分一体の生活をした人は一人もいません。②原罪がなく、贖罪の不必要な人はおらず、救い主が必要です。③祈祷や信仰生活が必要です。④篤信の父母より生まれる子女も贖罪を受けなければ救われない存在です。

 このようにキリスト教徒たちの信仰生活の実相は、十字架による贖罪が我々の原罪を完全に清算できず、したがって人間の創造本性を完全に復帰できない事実を端的に物語っているのです。それでは、十字架の犠牲は全く無為に帰したのでしょうか。キリスト教の歴史、我々の信仰生活の体験から見ても、十字架の恩賜がいかに大きいかということは否定できません。確かに十字架が贖罪の役割を果たしていることも事実ですが、それが、我々の原罪までも完全に脱がせてくれて、その結果、罪を犯そうとしても犯すことのできない創造本然の人間にまで復帰せしめて、地上天国を成し遂げるまでにはいかなかったのも事実です。

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 次回は、「イエスの十字架の死が神の願われたものではないことを、四つの観点から説明してください」をお届けします。