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統一原理127のポイント 51
イエスのゲツセマネの祈りを引用し、イエスがなぜそのように祈らなければならなかったか、その心情を説明してください

 アプリで読む光言社書籍シリーズ第8弾、『統一原理127のポイント~百日修練会の試験問題と模範解答から』を毎週日曜日配信(予定)でお届けしています。

(光言社・刊『統一原理127のポイント~百日修練会の試験問題と模範解答から』より)

第四章 メシヤの降臨とその再臨の目的
50 イエスのゲツセマネの祈りを引用し、イエスがなぜそのように祈らなければならなかったか、その心情を説明してください。(『原理講論』、172〜175ページ)

 マタイ福音書二六章三九節、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください」。

 神のためです。これは、神の四〇〇〇年間の、人間を復帰するために苦労された姿を思い、また、もし自分がここで十字架にかけられるならば、再び悲しみの道をたどらねばならない神の心情を思ったときのイエスの悲痛な叫びであったのです。

 イスラエルのためでした。苦難と試練を耐えながら、この時までのイスラエル選民の歴史の足跡は、正に一人のメシヤを迎えるためでした。しかし、そのイエスを自らの手で十字架にかけてしまう、ユダヤ人の無知と不信を思うときに、彼らのためにそうせざるを得なかったのです。

 全人類のためでした。自分がここで十字架にかけられたら、子孫がその蕩減(とうげん)のゆえ、どれほどの苦労の路程を歩まねばならないかを思うときに、そうせざるを得なかったのです。

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 次回は、「イエスの十字架の贖罪の限界について説明してください」をお届けします。