夫婦愛を育む 97
神様は「喜べ」と言っておられる

ナビゲーター:橘 幸世

 ここのところ諸事情から、世界少年少女文学を読む機会があります。人生の酸いも甘いも経験した大人(私)にも、大人だからこそ原点に返る意味で、良い読み物だと感じました。

 『小公女』『小公子』『消えた王子』『少女ポリアンナ』といった物語に共通しているのは、主人公のブレることのない、純粋な信じる心、善の心です。さまざまな不遇に直面し、大人から冷たい扱いを受けながらも、決して悪く取らず、善に解釈し、周りを感化していきます(フィクションならばこそという見方は横におきましょう)。

 『小公子』に後書きを寄せた人は、「子供の時これを読んで、主人公に倣って近所に住む偏屈じいさんの優しい側面を何とか引き出してやるぞ、と決意した」そうです。そのくらい、その少年の心を希望で沸き立たせたのです。
 善を信じ、善を謳(うた)う私たちですが、この主人公たちのような、信じ切って行動する力が自分には不足していると感じざるを得ませんでした。

 小学校高学年以上が対象の本ながら、社会の厳しい現実が具体的に描かれています。
 例えば、『少女ポリアンナ』にはこんなシーンがあります。

 誰か孤児のジミーを引き取ってくれないかと、ポリアンナは教会の婦人会に懇願します。が、手を挙げる人はいません。牧師夫人が、では皆で彼を援助したらどうかと提案すると、そうするとインドに住む少年たちに送る額がその分減り、自分たちの教会が寄付金リストのトップでなくなるからと、婦人たちが反対します。結局、目の前の孤児には手を差し伸べません。

 牧師は、けんか、陰口、スキャンダル、嫉妬といった信徒間の問題に悩み込みます。教会の二人の執事がさまつなことでけんか。熱心な婦人会のメンバー3人が脱会。ちょっとしたうわさに尾ひれがついてスキャンダルに発展。聖歌隊は真っ二つに分裂。日曜学校は校長と先生二人が辞めてしまいました。

 そんな中、牧師が重い心で散策していると、ポリアンナに遭遇します。
 彼女の亡き父も牧師でした。教会の中で育ったヒロインは、物心ついた時から難しい現実をずっと見てきました。それでも、彼女は父親に教えられた“ゲーム”を無心に続け、信仰や希望、愛を失いません。
 どんな事にも何かしらうれしいことを探すというゲームを、出会う人々に物おじすることなく勧めて、彼らを幸せにしていきます。

 彼女の父が悩んだ時、聖書には喜びの言葉が800もある、神様は「喜べ」と言っておられる、という答えに到達しました。その話を聞き、牧師は心揺さぶられます。
 厳しい言葉で信者の姿勢を正そうと説教を準備していましたが、裁きの聖句を捨て、喜びの聖句で信者に語り掛けました。そして皆が復興したのです。

 ポリアンナの父は、娘が幼ない故に“ゲーム”として勧めたのかもしれませんが、「み言だから」といった義務感から無理に感謝したり長所を見ようとするよりは、案外ずっと良いアプローチかもしれません。

 “創造本性を中心とした授受作用”のお手本のような物語でした。