シリーズ・「宗教」を読み解く 92
京都キリシタン巡礼③

元和キリシタン殉教の地で祈る

ナビゲーター:石丸 志信

 10月7日午後、ドミニカ国から来日したカルヴァン・エドワード・フェリクス枢機卿は、日本26聖人発祥の地を訪れた後、京都市内の元和キリシタン殉教の地に移った。

▲「元和キリシタン殉教の地」に立つカルヴァン・エドワード・フェリクス枢機卿

 今からちょうど400年前、1619年10月6日に52人の信徒たちが捕らえられ、市中引き回しの末、河原に突き立てられた十字架に2、3人まとめて縛り付けられた。
 52人のうち26人が男性、26人が女性。15歳以下の子供が11人だった。その回りにうず高く積まれたまきに火が放たれ火刑に処せられた。キリシタンたちを焼き尽くす炎は夕暮れ空を照らしていたという。

 日本26聖人の殉教(1597年)から22年。京都のキリシタンたちは、その後も生き延びてきた。
 江戸幕府が開かれた頃は、都に新たな天主堂(聖堂)が建設され、布教がさらに進み、キリシタンの教勢も伸びた。しかし、1612年に禁教令が出され、厳しい状況に追い込まれた。1614年には宣教師と代表的キリシタンが海外に追放された。

 それから5年後、都にまだキリシタンが多数生活しているのを知った第二代将軍徳川秀忠が直接処刑を命じたのが元和キリシタンの殉教だった。

▲元和大殉教福者一覧